村山古道補修 20年その12 ナラ枯れ

 ことの第1報が来たのは8月18日、ローリング父さんからのメールである。
《先週車で走って気づいたのですが、富士山周辺でクヌギの立ち枯れが目立っています。写真は飯盛林道周辺ですが、そのほかにも富士宮大岩やサファリパーク付近でも目立ちます。カミキリ虫かキクイムシの影響でしょうか。》
    
 そういえば村山古道に向かって東名高速を走っていて、静岡県に入った辺りから、緑の山肌に赤茶けた模様が目立つようになっていた。 以前から鉄道沿線でも竹枯れについては気にしていたが、あの赤くなっているのは何だろう、アカマツにしては枝振りが違うが、と疑問に感じていた。
 そこへローリング父さんからの情報である。そうか、あれはクヌギか、クヌギと言えばカブトムシ、子供たちの遊びに影響が出るななどと連想した。
  8月21日は富士宮市に出かけた。静岡県富士山世界遺産センターで企画展「富士山の湧水」が開かれており、この日は関連の講演会がおこなわれるので聴講しようというのである。午前中はすぐ近くの富士宮市立中央図書館にはいった。『岳南朝日』新聞をめくっていると、驚くべき記事が目に飛び込んできた。

   日本大学生物資源科学部富士自然教育センター・黒田貴綱氏の寄稿で、タイトルは「ナラ枯れ(ブナ科樹木萎凋病)」。

 要点は、今年の梅雨明けごろから富士山西麓の田貫湖・白糸一帯でコナラの立ち枯れが目立ちはじめ、原因はカシノナガキクイムシの虫害だという。産卵のために何百という穴を開け、ナラ菌を媒介するという。
《罹患したコナラの枯死率は2〜3割程のようです。大木が罹患することが多いので、枯れるとその処理が大変です。》
 さっそくこの記事を転送すると、ローリング父さんからはクヌギとコナラの区別がつかなかったという訂正があり、カシナガによる食害の生々しい写真を送ってきた。いずれも田貫湖近辺での撮影である。
                 
《ナラ枯れは愛鷹−富士川の川沿いにも散見されており、広い範囲に被害があるようです。》

  この言葉どおり、御殿場市水土野でナラ枯れが広がっていることが分かった。
 富士山ホシガラスの会・勝間田幸宣氏が、9月15日のFacebookにドローンによる上空からの写真を投稿した。

《御殿場市水土野のナラ枯れ・・・9月12日に撮影したコナラが枯れている状況です。(NPO法人富士山ホシガラスの会ホームページより)》
 そして9月20日、ついにわが村山古道にもカシノナガキクイムシの侵入を発見することになる。

 場所はあのビーバーダムのすぐ上、標高1250メートル地点である。

 そして前項《村山古道補修 20年その11 道迷い》(9月28日)、迷い道の折り返し地点にもあった。
  
 なんであれ、初めてこれだ! と気づくためには、いろいろな雑念が論理的にまとめられて近似のイメージができあがるまでモタモタするが、いったん脳裏にイメージが形成されると、よく見えるようになる。
 あそこにもある、向こうにもある。登り返しの途中に、少なくとも3本のナラ枯れを目にすることになる。

村山古道補修 20年その11 道迷い

 前項《山古道補修 20年その10 土嚢積みとロープ張り》(9月26日)、午後の作業の移動中に、われわれの現在位置が分からなくなった。
 緩い下りで、初めはいやにくねくねしているなという感じはあったが、路面に洗掘もなく落ち葉のしたの足裏の感触もしっかりしている。 はっきり異変に気づいたのは、倒木が多いことである。
 
 新しい倒木ではない。腐敗が進んでいるので、簡単に押し倒せる、切り落とせる。
 そもそも5月15日に登ったときにこんなに倒木はなかった。
 ここでこの日、初めてスマホのGeographica を覗いてみる。電波状態が悪いせいか地図画面は出ないが、標高は1158メートルと表示されている。
 標高から考えると大淵林道から吉原林道の間、3分の1ほど下っているが、村山古道から東に逸れていることは分かる。われわれの目的地は、前項で述べた出来損ないの水切りであるから、下り過ぎている。
 引き返そう!
 道に迷う、という表現は論理的ではない。自分の現在位置が確認できない、というべきであろう。
 自分の現在位置が確認できないときには、確信の持てる所まで引き返す。どんなに厳しい登りかえしであろうとも、ここだと確信できるところまで引き返すというのが原則であり、気力が必要である。
 今回は10分も登り返すと、ちょうど左手の高さに、見覚えのある登山道の凹みが見えてきた。
 改めて引き返してきたルートを振り返ってみると、道迷いの原因は一目瞭然である。

 正しい道は、2本の倒木を跨いで右側に下って落ち葉に埋もれている道である。
 ところがわれわれは、倒木に幻惑され、落ち葉のうえに残るかすかな踏み跡につられて、左下に迷い込んでしまったのである。落ち葉がなければ引きずり込まれることはなかったであろう。
 
 ともあれ、正規ルートの落ち葉は掃き出して路面が見えるようにし、迷い道入り口には枯れ枝を積んで通せんぼ、先ほどの残りのロープ10メートルを張ってだめ押しとした。
 いまどきここを下ってくる登山者はいないであろうが、これで迷わないで済むだろう。

 

 この写真で見ると、この辺り一帯は自然林のように見えるが、じつは高値で売れる有用木はことごとく伐採・搬出されたあとの放置林である。縦横に作業道が交差しているなかに村山古道が細々と繋がっているといったほうがいいであろう。

村山古道補修 20年その10 土嚢積みとロープ張り

  9月6日(日)、「一生に一度」出合えるかどうかという鳴り物入りの台風10号はとつぜん消滅、特別警報は出されることがなかった。
 翌週9月13日(日)は停滞前線に向かって熱帯低気圧が突っ込むという予想だったが、レーダー画像で観察している限りでは、富士山近辺はお湿りていどだったようだ。
 3週間も連続して放置するわけにもいかない。気象庁に悪態をついてばかりではなにもすすまないので、9月20日(日)は雷雨予報のなかを出発した。
 クルマは水ケ塚から雲のなか、フロントガラスに水滴が付きはじめた。天気予報当たりかな。
 西臼塚駐車場には、フジアザミが1株ある。これはわたしが知る限りでは、富士山の最南端に生える先駆者である。
 
 左は昨年7月7日の写真で、まだ花茎はない。右が今回の写真で株はいちだんと雄々しくなり、丈はまだ短いが花が着いている。初めてのことである。
 雨着を着て、大淵林道から村山古道にはいって向かったのはビーバーダムである(8月18日の《村山古道補修 20年その6 ビーバーダム》参照)。気象庁狼少年村のご託宣によれば、この水切り造りのあと1〜2回は豪雨の洗礼を受けているはずである。
 近づいてみると、落ち葉が積もっている以外に変化はない。


 日沢への排水路はと覗いてみると、10センチほどの水流痕は見えるが、ザーッと雨水が流れた形跡はない。ダムで防ぎとめるほどの豪雨はなかったということである。
 それでも次の豪雨に備えてたっぷり補強はしておいた。

  左は今年8月13日に造ったばかりの写真で、右が1か月後の姿。ダム手前の貯水部分と日沢に流し落とす排水路を掘り下げ、ダム本体に土をべったり貼りつけておいた。

 

 汗をかいたので雨着は脱ぎ、そのあとはしばらく骨休み。空身で中宮八幡堂の上まで行った。
 炭焼き釜跡から日沢に下る坂道が崩落しはじめたので、さらに上に造られた新しい下りコースにトラロープを張っておいた。

 20メートルをダブルにして、結び瘤をつくってある。
 50メートルロープの余り、10メートルが後で 役立つことになる。
 引き返しはじめると大粒の雨が降りはじめた。次に目指すのは、鉄砲水で流されてしまった土嚢ダム(5月23日《村山古道巡視 20年その3》参照)。
 右(西)側の窪地には草が密生し始めたので、雨水の流入は心配するほどでもなさそうだ。この下の登山道を洗掘している雨水の主力は、先ほどのビーバーダムから流れ下る鉄砲水と考えていいだろう。
 ではここに高さ1メートルの頑丈なダムを造って、左手(東側)の草地から日沢まで排水路を掘ってはどうか。

 ダム本体はなんとかなるとしても、1メートルも掘り下げた溝を何十メートルも延ばすわけにはいくまい。ユンボでも持ってくればできるが、人力では不可能である。
 ともかく、この下側の登山路の洗掘をこれ以上悪化させないために、土砂と水をここにためることにしよう。
 幸いここはこれまで何年もかかって土砂が堆積しているので、土嚢の中身は幾らでもある。

 もちろんスコップでは断ち切れない、太い根っ子も出てくる。これは鋸で地球を切っている気分である。

 新しいダムを造る位置は、流された白い土嚢の2メートル上手。まずここに幅一五センチ・深さ10センチほど横切るように掘りこむ。ここに土嚢を置く、のではなく、縦に突き落とすのである。

 袋の入り口は下になるから、詰め込まれた土砂には逃げ場がない。
 横に11俵列べると溝道ぜんたいが塞がるので、さらにこんどはその上側に土嚢を突き落として密着させる。合計22枚を使うことになった。

 暑いので雨着を脱いで作業していたら、雨はやんだ。

 さらに土嚢と土嚢の隙間に土砂を詰め込んで、枯れ枝でおまじないを飾って踏まれないようにした。
 気がついたら登山道をかんぜんに塞いでしまったので、右の檜の外側に通路を造ってようやく完成。

 午後はまず、大淵林道のすぐ下、不動沢熔岩流が村山古道を横切って、右から左へと迂回して窪地になっているところ。

 ここは右下に排水路を掘り下げればそれで済むのだが、左下に続く村山古道が傾斜を増して長い水路に育っていく危険性があるので、あえて土嚢2俵を積んで予防措置とした。
 本日の最後の作業は、ここからさらに15分ほど、水平に近い坂を下っていくと、右上から下ってくる古い作業道が合流する場所がある。

 これは今年5月15日に、下から登ってきたときの写真。 右上に行くのが村山古道、左に折れ曲がっているのが古い作業道である。みすぼらしい壊れかけた水切りは、数年前に造りかけて土嚢袋不足と疲労のため中途で終わった残骸である。
 この地点で登山道の洗掘はみられないが、ここから下は延々数百メートルもこんな緩い坂道が下っている。雨が降ったときに水の逃げ場がどこにもない。まずここで雨水にストップをかけなくてはならない。

  幸いこの一帯は腐葉土の堆積地だから仕事は簡単である。ときおり細い木の根が横切っているが、瓦礫も岩もない。左下に流す排水路を掘って、その土で土嚢10俵ができる。それを横べたに列べて完了である。
 ここから西臼塚駐車場に引き返すのに30分もかからない。

気象庁からJRまで狼少年症候群の蔓延

 2020年9月22日18時42分、JR東日本は国府津駅折り返しの始発、上野東京ライン籠原行きに乗った。

 客は疎ら、車内の吊り広告はフルに使うとB3用紙で28枚まで下がるのだが、端から端まで眺めても11枚しかない。しかも何枚かはJRの自社広告のようで、コロナ不況からの回復の兆しは感じられない。
 見るともなくドア上の電光掲示板を眺めていると、台風注意報を流している。
《【山手線】台風の影響により列車の遅れや運休が発生する場合があります。今後の気象情報や運行情報にご注意ください。》
 アレ!? 台風はまだまだ遠く南の海上にあったはずだが、急接近しているのかな? まアいいや、どうせ山手線乗り換えのはるか手前の藤沢で降りるのだから大事あるまい。
 と思う間もなく、
《【京浜東北線】台風の影響により列車の遅れや運休が発生する場合があります。今後の気象情報や運行情報にご注意ください。》
 続いて、
《【烏山線】台風の影響により列車の遅れや運休が発生する場合があります。今後の気象情報や運行情報にご注意ください。》
 えッー烏山線とは宇都宮の向こうだったかな、と思う間もなく【青梅線】【常磐線】と続く。

 関東地方中北部ではよほど事態が切迫しているようだ、上野以北にお帰りになる方は十分お気をつけくださいと願わずにいられない。
 わたしはといえば、藤沢駅で小田急江ノ島線に乗り換えて4つ目で下車。
 駅前の路面は濡れているが無風、傘を出すこともなく、帰宅してパソコンで台風情報を覗いてみた。

 この台風12号の進路予想図で、黄色い円は風速15m/sの強風圏、赤の太線は25m/sの暴風圏を表している。これで見ると関東中北部に台風の影響が出るのは24日の午後以降ということになる。
 JRの皆さんありがとう。
 2日後に乗るお客さんのために、懇切丁寧な注意喚起をしてくださっている。

 そして翌23日の朝−−
《台風12号、東日本に24〜25日に接近 大雨に警戒を
   …………
 台風や前線の影響で、東日本の太平洋側を中心に雷を伴う大雨が降る所もある。24日午前6時までの24時間に予想される雨量は、東海、伊豆諸島で200ミリ、関東甲信で150ミリ、東北で80ミリ。その後、25日午前6時までの24時間雨量は関東甲信で200〜300ミリ、東北、伊豆諸島で100〜200ミリ、東海で50〜100ミリの予報。》(朝日新聞デジタル>記事 2020年9月23日 10時03分)
  そしてその夕刻−−
《関東は24日、東北は25日にかけて大雨に 台風12号
   …………
 24日午後6時までの24時間降水量は多いところで、伊豆諸島250ミリ、関東200ミリ、東北180ミリの見込み。東北ではその後の24時間にも100〜200ミリと予想され、気象庁は土砂災害への厳重な警戒を呼びかけている。
 JR東日本によると、千葉、茨城、福島、宮城の各県の在来線の一部では24日、運転を取りやめる計画となっている。》(朝日新聞デジタル>記事 2020年9月23日 18時44分)
 藤沢の自宅では何の兆候も感じないけれど、やはり北関東から東北は酷くやられるらしい。
  そして運命の24日朝−−ひんやりした北風がときおり吹くが、雨は降っていない。きょうは庭の草抜きでもしようか。
 気象庁レーダー・ナウキャスト画像はどうなっているのだろう。

 あれ!?  台風の渦巻きがなくなっている。
 天気図はどうだろう。

 台風12号は気が変わって、前線に沿って東のほうへ行くらしい。
 まもなく薄日が差してきて、ネットで調べていると納得できる情報が見つかった。
《今日24日(木)の天気 台風12号接近の関東沿岸は横殴りの雨 九州は強雨注意 

   …………
 台風12号は陸地から離れて通るため影響は限定的で、大雨や暴風のおそれはなくなりました。
   …………
 東シナ海に新たに低気圧が発生して東へ進む予想です。そのため、九州や中国、四国では雨が降りやすく、特に九州南部では雷を伴って、強く降ることがあります。》(2020/09/24 05:32 ウェザーニュース)
 そうか22日夜、籠原行きの車内電光掲示板の注意喚起はこのことを指していたのか。
 内閣は変わっても、忖度意思決定の麗しい慣習、国民に大騒ぎさせて誰も責任をとらない行政の機能不全は継承されるらしい。

村山古道補修 20年その9 秋の気配その3

 午前の作業が終われば笹垢離跡に下って遅い昼食。途中ポツリポツリ始まったがきょうは雷鳴なし。
 それでも自然休養林ハイキングコースから下の草の葉はかなり濡れていたので、富士山特有の鉢巻き雲による雨だったかもしれない。
 雷さえなければ、のんびり下ることになる。

 岩屋不動入り口は、(左の写真の)手前から下っていく村山古道を雨水の本流が流れ落ち、岩屋不動に向かう左の木馬道から伝ってくる雨水と合流して、正面の村山古道に流れこんでいた。そこでまず木馬道に土嚢2俵を積んで流れを防ぎ(写真の端にちょこっと写っている)、村山古道からの本流は右下の木馬道に流れ落ちるようにしておいたのは、昨秋のことである。

 この水切りは見るからに十分に機能していたので、水路をチョイチョイと掘り下げて補修おわり。

 ここは登山道が広がって氾濫原のようになっている。右下に流す水路を掘って新設。

 ここは洗掘が進めば立派な水路になりそうなカーブ。すぐ右下に古い木馬道があるので排水路を掘れば簡単だと思えたのだが(左の写真)、ところがどっこい。地中を縦横に木の根が走っているのでスコップが立たない、ツルハシを打ち込んでも刃先が掘り起こせない。
 地面のここぞという場所に鋸を差し込んでギコギコ試行錯誤。
 地下茎を切って、改めてスコップで掘り下げるという工事を続けて土嚢2俵を造り、ようやく完成(右の写真)。

 帰りの東名高速は8月最後の日曜日のせいか、コロナ禍が落ちついてきたためか、大阪・三重・名古屋など遠方のナンバーも混じってかなり込んでいた。
 事故渋滞も3か所で発生していたがいずれも軽い追突で、救急車の出動はなかったようである。やれやれ。 (秋の気配その3おわり)

村山古道補修 20年その9 秋の気配その2

 さてここから上はしばらく大倒木帯のお花畑である。
 前回紹介した『富士山村山口登山道跡調査報告書』掲載の写真によると、この一帯はシラビソの純林で、生き延びたのは地中深くにゴボウ根をおろすカラマツだけであった。
 つぎの写真は台風から8年後の2004年8月1日、いまから16年前、われわれが初めて村山古道を新六合まで抜けた日のものである。
 
 今日ではほとんどの倒木が朽ち果て、ちょっとした窪地を中心にダケカンバ、ナナカマド、カラマツ、トウヒの森林が育ちはじめているが、お花畑を貫く村山古道は、雨水の氾濫原、流れたい放題である。坂が緩んだところにたくさんの瓦礫が転がっているのは、登山道の地面から雨水によって洗掘されて浮かび上がってきたものである。

 まずは去年造った急斜面の落ち口にある水切りの補修。右向きの排水路が埋まり、登山道に越流しはじめていたので(左の写真)、スコップで掘り込んで水の流れをよくする(右の写真)。

 つづいてそのすぐ上に昨秋造った水切り。排水路の土手が登山者に踏まれて低くなっていたので(左の写真)、小石を積んで補強し、排水路をを掘り込んでおいた(右の写真)。

 つぎは、シーズンになるとジューシーな苺畑(シロバナヘビイチゴ )になる砂地であるが(左の写真)、まっすぐ排水路を掘り下げて右に流す水切りを新設した(右の写真)。地面下から出てきた石を中央に置いたので、その左側を歩いてほしい。

 ここは登山道に雨水が流れこむようになっていたので(左の写真)、左へ地面をへつって水路とした水切り。新設である。

 右下の丸太の段差が登山道で(左の写真)、大雨が降ると登山道に流れこむので、ここもチョイチョイと左向きの水路を掘って(右の写真)水切り新設。

 ここは登山道が急になっている場所で洗掘が始まっている(左の写真)。地面を掘り下げて土嚢で塞ぎ、右向きの水切りを新設(右の写真)。白い朽ち木は蟻の巣になっており、持ち上げると手が蟻まみれ。土嚢が踏まれないようおまじないとして借用した。

 ここも坂が急になって洗掘が進んできたので(左の写真)、右向きの水切りを新設。土嚢の上の石は登山者に踏まれないようにというおまじない。


 午前中はここが本日の最高高度で、作業打ち切り。                         (つづく)

村山古道補修 20年その9 秋の気配その1

 9月の声を聞くと、村山古道も秋の気配が漂う。

お花畑を席巻したヒヨドリバナ(左の写真)も勢いが衰え、キオン(右の写真)があちこちで黄色い花を着けはじめる。

 お花畑全域にテンニンソウ(左の写真)の花が開きはじめると、アサギマダラ(右の写真)はお花畑の下の方に移動していくが、日差しがあると上の方まで舞い上がる固体もある。
 8月30日も午後は雷雨という予報だが村山古道に入った。
 本日の第1目的は笹垢離跡である。
   1993年に発行された『富士山村山口登山道跡調査報告書』(富士宮市教育委員会編・発行)には、石造の不動明王と2体の地蔵菩薩が記載されているが、現在はお地蔵さんが1体増えて3体になっている。いずれも首が飛ばされていることに変わりはない。

 この首無し地蔵はこの間どこかから人知れず歩いてきたものではない。

 1996年9月の台風17号で一帯の森林が薙ぎ倒されたとき、大木の寝返りによって土中から掘り出されたものらしい。

 同報告書には「南側に石垣が積まれています」とあるが、今日それは確認できない。
 日本石仏協会・田中英雄氏の鑑定によればこれは六地蔵だというから、地蔵3体ほかの遺物がこの地下に埋まっていることは確かである。

 これから行政による発掘調査が行われるのかどうかは分からないが、六観音跡に続いてこの遺跡も流出・埋没する危機にある。
  南の雨水の流れ出し口は昨年水切りを造っておいた。排水路を水平方向に掘って水勢を弱めるようにしただけである。

 しかし北の山側は、いちおうダムのようなものを造ったが、狭まった地形の関係から流れこむ雨水を止めることができない。(《村山古道補修 補足 硬い地面ほど浸食される》2019年8月6日参照)
  そこで今回はまず、この疑似ダムの10メートル上に、左(西)にある窪地に雨水を落とし込む排水路を掘った(左の写真:このペア写真は見下ろして撮ってある)。しかしこれだけではかなりの分水が登山道に流れこむので、枯れ木の向こうの登山道を塞いで、登山者には左(東)の朽ち木の上を通ってもらうことにした(右の写真)。

これが遺跡保存にどのていどの効果を発揮するかは分からない。        (つづく)

村山古道補修 20年その8 襲いかかる豪雨

 8月22日4:00、新聞を取りに出てみると、大きな星がいくつか輝いて見える。夏至から2カ月も経つと日の出時刻が40分も遅くなっているのだ。しかし、きょうもくそ暑い夏空が続きそうだ。
  御殿場駅富士山口ロータリー、“御殿場のうんこ”も乾いた青空に浮かんでいる。

 滝ケ原に差しかかると、正面に見えるはずの富士山は湧き上がる雲のなかに隠されてしまった。

 それでも9:00に富士山スカイライン旧料金所を歩きはじめたときにはまだジリジリと強い日差しが照りつけていた。9:15雲が広がって陰ってきたので、やや安堵の思いがあった。
 スカイライン縦道の道路標識「10・8Km」、標高1600メートル地点に着いたのは9:35、旧料金所から35分で来た。
  これまでのように、スカイライン横道の「7・8Km」、標高1350メートル地点から村山古道を登ってくると60分かかるから、けっこう時間と体力の節約になる。
 路面の洗掘が進んだ村山古道を登りはじめて20分、自然休養林ハイキング道を横切る。間もなく数年前に造った水切りが草臥れていて、上端から越流が始まっていたので補修した。
 
 左の写真が補修前、右が補修後。
 水路を掘り下げて上端に土嚢を2俵、ぜんたいに枯れ枝を置いたのは、登山者に踏まれませんようにというおまじない。
 緩い坂道を登っていくと間もなく「大樅」跡にさしかかる。この一帯の雨水が登山道に流れこむ地形になっているので水切りを新設する。

 場所はまさに大樅の真横。地面下が瓦礫だと覚悟してツルハシを打ち込むと、この辺りは樹齢200年を越す樅の原生林。腐葉土の塊なので難なく日沢に向けて排水路を掘り、その土を土嚢3俵に詰めて水防ぎにしておしまい。
 上に置いてある大木は去年の秋以降、大樅に倒れ込んでいたモミの老木の一部である。
 ここから岩屋不動分岐までの急な坂は、雨のたびに瓦礫が剥き出しになってしまうやっかいな場所で、聖護院峯入り修行のさいは、草分俊顕先達から檄が飛び出すところである。

 サーンゲサンゲ、ロッコンショウジョウ、サーンゲサンゲ、ロッコンショウジョウ

 足場の悪い棒道で、棚状の地形に造った水切り以外はすぐに用をなさなくなってしまう。
 そこでとりあえずは、岩屋不動分岐のすぐ下、坂が急になる上の棚に、しっかりした水切りを造ろうというのが今回の眼目の一つであった。

 ここに造ろう。ここに横たえてある枯れ枝の線で流れてくる雨水を遮ろうというのである。
 ところがここも地面下は熔岩流か、瓦礫の固まりだろうという予想に反して、腐葉土だったのである。
 それでも40分近くかかって土嚢4俵を積んで、おまじないの丸太をどかどか、これでおしまい。
 
 まだ11:40、早いけれど昼食休憩にしよう、午後は笹垢離の上でもっと難工事がある。

 ところで、さっきから気になっていたのは雷鳴。
 はじめは東富士演習場の自衛隊の砲撃演習の爆発音だろうと思っていたのだが、どうも聞こえてくる方角が違うではないかとスマホで気象庁のレーダー・ナウキャスト画像を出して調べてみる。富士山をすっぽり覆う真っ赤な雨雲の固まりが北側から近づいているではないか。
 ひらひら飛んでいたアサギマダラは、すでに姿を消している。
 ともかく昼飯を、と食べはじめるとポツリポツリ。と思う間もなくいきなり本降りの雨。
 ばたばたと食器類を片づけてザックに放り込み、ザックカバー、雨具、即出発。カミナリの位置は、雷光から雷鳴まで3秒あるからまだ1キロはある。
 土砂降りのなか35分後にはスカイライン縦道1600メートル地点に下り立った、やれやれ。
 天はそれを見透かしたように雲が切れて日が差す。しかし、「登り返して午後の作業を再開しよう」と発議する者はいない。それが正解だった。
 13:30旧料金所をあとにした直後、フロントグラスに雨粒がボタボタ、いきなり土砂降りである。

 オーンモイオーンモイ、ンコラショーンコラショー、ワイパーも重そうに唸っている。
 次の写真は14:00現在のレーダー・ナウキャスト画像。矢印の位置が富士山である。

 しかし御殿場インターから東名高速に上がると、路面の濡れている個所はどこにもなかった。
 静岡県東部の天気予報では午後雷雨、神奈川県西部は終日晴れだった。狼少年村のご託宣でも、たまにはこういう総当たりということもある。

村山古道補修 20年その7 土砂に埋まる遺跡と熔岩流

 中宮八幡堂跡から日沢(にっさわ)を渡ると、不動沢熔岩流の高台にさしかかる。
 スコリア(火山灰)に草や木は生えるが、熔岩の上には根付くための土がない。その代わり標高1300メートルのこの辺りは、駿河湾から昇ってきた気流が結露して、岩の上に苔が発達する。
 女人堂跡も不毛の砂礫地だが、雨が続いたことしは苔の絨毯になった。

 こうなると、気軽に踏みこんで休憩したり記念撮影したりはできなくなりそうだ。
 そして、スカイライン横道まであと100メートル、木の間に疾走するクルマが見えるところに、「西河原 六観音」跡といわれる遺跡があることは《村山古道巡視 20年その3》(5月23日)で触れておいた。
 すでに3年前に、この遺跡に土砂が流れこむ恐れがあったので土嚢を積んで防ごうとしたのだが、その効果が失われているらしいことも書いておいた。

 これはことし5月15日の写真。左上から流れてきた泥水が二俣に分かれ、一方は敷石の間から左隅の窪みに流れ込みはじめている。トイレ跡だろうと言われている部分である。
  8月13日にきてみるとどうだ。

 黄土色の土砂に代わって黒い土砂が押し出して敷石の外側を埋めて、内側の窪みを埋めている。おまけに敷石の向こう側を堂々と黒い川が流れ抜けているようだ。
 次の写真は3年前、2017年7月の「西河原 六観音」跡のものである。土砂の流入は始まったばかりで、その気になって見ないと気づかない人が多いだろう。

 次の写真はこのときの土嚢積みである。黒い土嚢袋の上に枯れ枝が置いてあるのは、その5メートル先を通っている村山古道から見えないようにというカモフラージュのつもりである。

 それが3年後の今どうなっているのか。
 
 土嚢はしっかり働いているのだが、想像を絶するほどの分量の黒い土砂が流れこんだようだ。

 黒い土砂は遺跡だけでなく、この苔蒸した不動沢熔岩流ぜんたいを台なしにしてしまうかもしれない。

 

 この黒い土砂がどこから流れこんでいるのか、供給源はすでに《村山古道巡視 20年その3》で指摘したようにはっきりしている。このすぐ上を走る富士山スカイライン横道からである。スカイラインの路肩に何の損傷もみられないから、山側のL型側溝のグレーチングから流れこんだものである。

  ここから流れこむ土砂を止めるのか。

 遺跡を永久の眠りに戻るに任せるのか。
 苔蒸した熔岩流のうえにたまった土砂を丁寧に掻きだすのか、植物遷移の成り行きとみなすのか。
 いまのわれわれには、名案も実行力もない。

村山古道補修 20年その6 ビーバーダム

  すでに《村山古道補修 20年その3》(5月23日)で報告したように、前富士山麓山の村・緑陰広場から上の村山古道が洗掘によって沢登り状態になっていたので、溝道の底を歩くことは諦めて左(西)の高みを新ルートとして提案しておいた。
 さらに大淵林道から中宮八幡堂のあいだの登山道の惨状についても報告しておいた。ここは窪地の底を村山古道が通っているので、雨水の逃がしようがないので、ダム式の水切りにして、少しずつ流れればいいなと考えていた。

 左が昨年6月22日に補修した写真、右が今年5月15日の状態である。
 これまでは土嚢の高さまで土砂がたまって、それ以上流れてくると越流していたのだが、去年の秋から今年の春にかけて鉄砲水が発生して、土嚢ごとごっそり押し流してしまったようだ。
 現在この部分がどんな状態になっているか、下から上へと順に見ていこう。

 この3枚の写真は、左から右へと登っていく。
 
 そしてこの2枚の右が最上部、ここで1メートル近い落差の滝になったようだ。
 ちょろちょろ流れでできたものではなく、おそらく1雨か2雨で抉られたものであろう。
  ではこの水はどこからきたのか。
 
 右奥の明るいところは中宮八幡堂跡の広場で、右の村山古道を登っていくと数歩で小高い丘になる。こちらから水は流れてこない。
 問題になるのは左の土道である。そのむかし植林のための作業道だったかも知れない。
 どうやらこの土道に、左奥に大きく広がる窪地の水が集まってくるようだ。これまで植林いらい数十年間、一度も間伐されないできた薄暗い檜林であった。景観はともかく、それなりの保水力があったものが、このたびの伐採で一挙に失われたようである。
 この写真では分かりにくいが、左斜面に横たわっている苔蒸した倒木の向こうに、斜めの土道がある。これは鹿道で、地面の削られ方から見て、かなりの水量がここから落ちていることがわかる。
 よし! ここにビーバーダムを造ろう。
 この辺に石はない。ダム本体の材料になる倒木は幾らでも転がっている。
 水は、右手(東)の高みを掘りさげて排水路を造り、50メートル下を流れる日沢 (にっさわ)に直接流し込む。

 右の高み(この写真では左手になる)は長年の森林の林床で柔らかい土である。石や熔岩塊はいっさい含まれていない。
その代わり、木の根が縦横に走っていてスコップの刃先が深く刺さらない。鋸を地面に差し込んでは引いてみる、の繰り返しである。表面10センチを切れば、それより深い場所に障害物はない。
 ともかくできあがった。

 土嚢を並べて枯れ木が置いてあるのは、排水路の縁を踏んづけて崩さないでほしいというおまじないである。
 さてこの木製のダムと排水路は、水切りとして有効な働きをするだろうか。
 村山でもこの部分は旧来の溝道は放棄して、高みに新しい通路を造ろうという意見もある。次に想像以上の豪雨がきてこのビーバーダムを、一気に押し流してしまうかも知れない。

 しばらく様子をみることにしよう。

 

 これまで見てきた標高500〜1000メートル、村山から天照教本社までに広がるの民有林の間伐には節度というものがあった。
 なかには枝付きの丸太を村山古道に向けて切り倒すので、登山者が迂回を余儀なくされることもあった。切り落とした小枝を整理しないまま林内に放置するので、山中至るところにゴミの山ができ、これが窪地にたまる。大雨が降ればこれがダムになり決壊して鉄砲水になって暴れ沢となるということもあった。
 しかしこれは現場監督の癖(作業センス)のようなものであって、傷は浅い。山全体・森林全体には、山を保全し森を育てようという山林地主・所有者の強い意思が貫かれていて、歩いていればそれを感じ取ることができる。
 ところが天照教林道から富士山麓山の村までの間伐、西臼塚駐車場から東へずっと大淵林道沿いにつづく間伐の跡を眺めると、まるでガリバーが大きな犂(すき)で田圃の粗起こしをやったような感じがする。表土は雨のたびに垂れ流し放題である。

 こういった森林管理についての思想の差はどこから出てくるのだろう。
 こういうやり方を繰り返していると、村山の農家の人たちが心配するように、“山の形が変わる”のである。