村山古道補修 補足2 強力助っ人の登場

 前回、8月3日に村山古道をくだったとき、ふわふわの砂地に雨水は流れないが、硬く固められた地面ではちょっとした雨が大きな流れになって路面を掘り下げる現象について説明した。
「次にもう1回夕立でも来れば、V字溝の左に残っている川岸部分が崩壊して、ここは通行不能になってしまう可能性がある。」
 太平洋高気圧が強まるままに熱界雷で雷雨が発生するか、あるいは夏型気圧配置が緩んで台風が接近でもすればひとたまりもない。土嚢積みを急がなくてはならない。
 ところが8月5日夕刻、京都は聖護院から荷物が届いた。
 中身は、8月20日、富士山峯入り修行の一行が、富士山頂でおこなう柱源(はしらもと)護摩供につかう法具である〔このホームページの「富士山峯入り修行」の写真参照〕。
 背負子に括り付けてあって、ちょうど10キロある。
 これをあらかじめ、九合五勺の胸突山荘まで荷揚げしておかなくてはならない。
 ちょっと調べてみよう。
  2015年8月18日は、身延線の踏切事故で電車が遅れて富士宮駅前発9:05のバスに乗り、新六合の宝永山荘を出発したのが11:33になったが、胸突山荘まで登り3時間57分、下り1時間32分で、新五合目発18:00の下りバスに間に合っている。
 2016年8月10日は、富士宮駅前8:30発のバスに乗り、宝永山荘から胸突山荘まで登り4時間03分、下り1時間27分で、やはり18:00の下りバスで下っている。
 2017年8月14日は、富士宮駅前8:30発のバスに乗り、宝永山荘から胸突山荘まで登り4時間32分下り1時間55分かかっているが、宝永山荘のゴミを新五合目まで降ろしたので、山荘のクルマで富士宮駅まで送ってもらっている。
 2018年8月5日は、富士宮駅前8:10発のバスに乗り、膝を痛めたので生まれて初めて両ストック。宝永山荘から胸突山荘まで登り5時間04分、下り2時間34分で、新五合目発19:00の最終バスになってしまった。
 それぞれ満年齢が72歳・73歳・74歳・75歳のときの記録である。
 1年ごとに衰えてきていて、76歳の今年はもはや日帰りではできないかもしれない、1泊2日という日程がとれるだろうか。
 寝苦しい一夜を輾転反側、8月6日未明、夢枕に役行者さまが立たれておっしゃった。
「独りでやろうと思うな、助っ人を頼め!」
 朝になってSOSメールを発信したところ、午後になって土屋四郎氏から返事が来た。
「あすなら休暇がとれる」
「終わったらついでに、村山まで下ってもらえないだろうか」
 聖護院の富士山峯入り修行隊の先頭に翻る幟を、村山から借り出す必要があったのである。
 話はトントン拍子で進み、村山古道に切り残しの倒木があるだろうということから〔このブログ《2019年5月、村山古道の現況》参照〕、村山からは急遽チェンソー隊が出ることになったのである。
  2019年8月7日は8:00に水ケ塚公園に集合、村山チェンソー隊は高鉢駐車場から岩屋不動脇道に向かい、土屋氏は宝永山荘から九合五勺まで荷揚げに向かった。


 わたくし土嚢隊は10:50には横渡下の現場に着いていた。
 ここでいちおう現場のおさらいをしておこう。
 樹林帯から日沢(にっざわ)左岸に下る登山道は、浮き石がちょっと気にはなるが、しっかり踏み固められている。


 その続きも、溝がちょっと深くなってはいるが、問題はないように見える。


 ところがその下はどうか。


 去年までの踏み跡は、抉られて落ち込んだ先の斜面の位置についていた。

 今年の5月は中央を一直線を歩いていた。

 ところが前回はもう一歩山側に踏み跡が移動していた。

 この次に一雨くれば、登山道全体がひとたまりもないであろう。
 ここで私は作業手順の誤算に気づく。

 土嚢に詰める土砂は谷底にいくらである、と思っていた。土嚢の素材は捨てるほどあるのだが、10キロ以上もある土嚢を抱えてこの斜面をのぼるのことは不可能である。
 幸い左の山側に疎らな草地の斜面があり、礫のほとんどない素直な土砂が採取できた。 

 それでも炎天下、休み休み作業して5俵つくるのに30分かかった。小型の片手スコップだから能率は上がらない。

 水を飲んで日陰で10分休んでまた土嚢づくり。
  初め土嚢を下の土台がしっかりした所から積み上げようと思ったが、それでは土嚢が圧倒的に足りない。上からだ。

 上の崩れはじめた部分から順番に土嚢を押し込んで、ともかく新しく路面が掘り下げられるのを防ごう。


 とりあえず10俵押し込んだのが、この写真。

 本当は、離れて2俵置いてあるところまでびっしり詰め込みたいのだが、すでに土嚢袋がない、体力がない、やる気がない。
 ゆっくりだらだら昼食を摂って下りていくと、ちょうど岩屋不動入り口でチェンソー隊とぶつかった。
 去年9月の台風で発生した倒木はあらかた片づけたという。
 ここはちょうど古い木馬道を登山道が横切っている場所で、この下の急傾斜をえぐり取る雨水の水源池のようなところである。
 岩屋不動方向から木馬道を伝ってくる雨水は、村山古道に流れこむ手前に水切りを掘って左下に流れこむように仕向ける。

 笹垢離方向から登山道を伝ってくる大量の雨水は、登山道から右下の木馬道に流れこむように、深さ30センチ幅50センチの水路を掘り込む。幸い鶴嘴があるのであっという間に終わる。


 少々の雨なら、これで防げるだろう。

 

 笹垢離から下ではヒヨドリバナは開き、アサギマダラが翔びはじめていた。チェンソー隊の話では、岩屋不動脇道の南東斜面の日だまりでは、20〜30頭の蝶が乱舞していたという。


 このあと土嚢隊とチェンソー隊は武装解除して水ケ塚公園まで下り、そこへ荷揚げ隊も合流して本日の作業はすべておしまい。

 もちろん修行隊の幟はチェンソー隊が揚げてくれていた。
 これで18日(日)に田子の浦・鈴川海岸をスタートする富士山峯入り修行の一隊が登ってくるのを待つばかりとなった。