オールコック異聞  その3

 3月といえば青春18きっぷが使えるようになるので、恒例の静岡通いが始まる。静岡県庁近くの民間ビルに しずおかけんりつとしょかんれきしぶんかせんたー という一息では発声できないように長い名前の施設がある。端的にいえばかつて『静岡県史』シリーズが編集されたおりに集められた史資料の倉庫のようなところで、一般公開はされているのだがわたし以外の閲覧者はゼロという日が多い。
 嬉しいことにここでは静岡県内に残っている明治以降の古新聞がマイクロフィルムからプリントアウトしてクロス装で製本してある。新聞1ページがA3に縮小されているのだが、パッと開いて1ページ全体が見渡せるので、フィルムリーダーを覗くのに比べて3倍ぐらいスピードが上がる。

               

 このところ『静岡民友新聞』をめくっており、3月19日には大正11年4月分の閲覧に差しかかった。と、久々にめぼしい記事にぶつかった。

「泰西人最初の富士登山者 英国公使オールコツク氏の記念碑及び愛犬の墓碑(熱海)」、静岡民友新聞社は後藤粛堂記者の7回連載ものである。 
 


 この記事によると、先に示した熱海・大湯間歇泉の石碑は事故の翌年になってオールコックが送ってきたもので、オールコック自身が建立したものであることが分かる。そうすると、やはりきちんと自分の目で確かめておきたい。
 チャンスは7月9日にやってきた。富士山は村山入山式に向かうとき、熱海で途中下車したのである。ただし朝日がちょうど順光になっていて、陰刻の文字がよみづらい。石碑まで上がって行って、かろうじて読みとることができた。 
 

 

 右の石碑:
《 南無阿弥陀仏
      徳本〔花押〕》
 むかしこの噴出口に甲虫が群がり、熱湯に吹かれて死ぬ様が哀れであった。たまたまこの地に巡錫された徳本上人が梵法をおこないこの名号石を建てたところ、ふたたび虫は来なくなったという。文化12年(1815)のことであろう(『あたみの碑と像とレリーフ』熱海市観光施設課編、発行年不明)。ケチを付けるわけではないが、虫には効いたがスコッチテリアには効力がなかったらしい。
 中央はトビーの墓:
《 Poor Toby!
     23 Sept. 1860 》
  この墓石はいちど行方不明になったので、大正7〜8年の大湯改修工事のとき、熱海館主の岡野さだ氏が寄贈した2代目らしい。
 左がオールコックの富士登山記念・熱海訪問記念碑:
《                    予奉國命寫日本荏土府十有六月公暇無事茲萬延元年
                   庚申七月十八日發江都廿六日登冨士山廿九日到豆州
RA(September 1860) 羅多保津斗安有留古津久英國美仁須登留
                 浴熱海温泉十有四日愛玩山海奇勝之餘建此石使後人
                 知英人遊干此自吾輩始矣 》

 繰り返すようであるがこれは墓碑ではない。オールコック自身が造った富士登山の記念碑である。

  途中で間歇泉が噴き出してびっくりしたが、噴出量がすくなくて背中に飛沫がかかっただけで、トビーの二の舞に遭わないですんだ。
  徳本上人による護法の効き目は、わたしのばあい虫と犬の中間らしい。