講演依頼の余得

 

  北斎の『冨嶽三十六景』の1枚に「尾州不二見原」がある。

 


 大桶の中に職人が入って、中刳りの遣り鉋を使って仕上げをしている大胆な図柄である。その職人の後ろの遠望に白く雪を戴いた山があるので、これは富士山だと思ってしまうのがふつうの人情である。
 ところが、現在の名古屋市中区一帯の冨士見原から富士山は見えないという指摘が早くからあって、では北斎が描いた山はどこかと古文献をあさり現地まで行って丹念に調べた論文があって、山岳雑誌『岳人』に載っていることを聞きつけたので横浜市立中央図書館まで行ってバックナンバーを探してコピーを撮ったことは覚えている。しかし、そのコピーをどこにしまい込んだのか分からなくなって、さほど切迫した必要もないまま荏苒時が過ぎていた。
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 カワカブ会から講演依頼がきたことはすでに6月2日に書いた。そして昨日6月24日、「麓から登る富士山 富士山信仰の歴史と登山道の変遷」というタイトルで2時間ほど喋った。会場は新宿歴史博物館の講堂、座席定員90人のというのでたじろいだが聴講者84人という大盛況。閑古鳥が鳴くようでは申し訳ないと心配していたが、カワカブ会や山樂カレッジの関係者のご協力に感謝しなくてはならない。

 


 わたしが富士山にかかわるようになって20数年は、ちょうど富士登山史研究が飛躍的に発展した時期でもある。明治の廃仏毀釈で廃絶された峯入り修行は村山古道の再生で復活した。世界文化遺産運動は官製の翼賛運動として始まったが、各地に眠っていた富士山信仰の様々の動きを呼び醒ますことになり、民間レベルでの研究も盛んになった。この間に大量の史資料が発掘されて論文が書かれ、考古学が介入してきたことも大きい。それらの成果を通観して皆さんに披露できれば社会的意味もあるし、わたし自身にとっても今後の研究方向も見えてくるのではないか。
 準備は、手持ちの書籍やコピーから関係ありそうなテーマを選んでいくことから始まる。それらを並べ替えながら歴史的・論理的なストーリーを組み立てていく。ところがたちまちにして、こういう資料があったはず、ああいう論文があったはずということになって作業は大渋滞に陥る。
 電子化が済んでいる画像や資料はキーワード検索ができる。単行本や、コピーでも半冊以上のボリュームがあれば厚紙のフラットファイルに綴じてある。しかしスポット的に見つかった数枚の論文コピーは、ほとんどがチョイ置きである。テーマのまとまりもなくそのつど順番に重ねておく。そういう山がパソコン机の横に2カ所、本来の机の上と下に数カ所、本棚からは本を抜いて積み上げてあるというありさま。たまに雪崩が発生してやむなく整理することもあるが、多くはそのままである。

   コノハナサクヤヒメのお父様は大山祇神であるが、わが家に繁殖しているのは大山積みの紙である。
 それでも今回のような大きなテーマにとりかかるときには、記憶の限りにひっかきまわして山積みの紙を1枚ずつ剥がして、発掘していく。見つからなければテーマから外す。逆に、探してもいない思わぬ宝石が出てくることもある。
   富士山信仰に係わるもっとも古い女神像が南アルプス市の江原浅間神社にある。11世紀の一木づくりである。この女神のカラー写真が確か、『富士山−信仰と芸術』(「富士山−信仰と芸術」展実行委員会編・発行、平成27年)に載っていたはずだ。

 


 めくっていると5〜6枚のA4コピーが落ちた。1枚目は『岳人』の表紙で、「1994 MAY No.563」とある。
 これだこれ! ここに載っているのが安井純子の「まぼろしの富士山を検証する」、つまり本稿冒頭に書いた「尾州不二見原」を詳細に検証した論文である。
 実にうれしい。紙の地層をいくらめくっても出てこないわけだ。
 時たま舞い込んでくる原稿依頼や講演依頼があると、たいていこういう発見があって、わが家の大山積みの紙はわずかながら整理される。ありがたいことである。

 

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