2年がかりの金剛石 ダイヤモンド富士@女人天上

 明治5年(1872)太政官布達によって女人結界が廃止されるまで、富士山も女人禁制であった。吉田口登山道でいえば、二合目・小室浅間神社の地に道者改所が置かれ、登ってくる道者(登山者)のなかに女性が混じっていると、ここから追い返したといわれる。

 もっとも富士講のなかには禁制に従わない講社もあり、また山麓の御師にも売り上げを優先して女性登山を容認したところもあったようで、富士山が出現したとされる庚申の年には女性登山を推奨したと思われるポスターもつくられている(一恵齊芳幾筆『万延元年庚申六十一年目ニ當リ 冨士山北口女人登山之圖』品川屋発行、万延元年=1860年)。

 それ以外の年はどうであったか。
《ここ〔女人御来迎場〕は正式に認められた場所ではなかったが、……山頂や朝日を拝することができないため、女性は内緒でここまで登って拝したという。……男性であっても、登山期以外の時期にはここを遙拝所として利用したという。》(『富士吉田市歴史民俗博物館企画展図録「富士山明細図」』富士吉田市歴史民俗博物館編、富士吉田市教育委員会発行、平成9年)

 ところでいつ誰が気づいたことか知らないが、太陽暦で1月8日を挟む3日間、この女人天上からダイヤモンド富士が見られることが分かった。よし、見に行こう!
  昨年、2018年1月8日、われわれは勇躍、富士急行線富士山駅に降り立った。しかし天は非情である。

  女人天上の位置は富士山に被る雲ほど高くはないが、あえて登っていこうとは誰も言わない。急遽方向を変更し、船津胎内から吉田胎内、泉水を経て、雨のなかを雁ノ穴まで歩いたのである。
 反省点として、今年はあらかじめ日にちを固定しないでおいて、1月1日の夜に気象占いをして決行日を決めようということになった。気圧の谷通過は1月6日と計算し、7日の翌日予報はご覧の通り。

  8日の朝、富士急行線の電車が寿駅に近づくと、任せてくれと言わんばかりの富士山である。


 富士山駅裏から三立〔みたて〕交通のタクシーに乗る。この会社は迎車料金をとらないので、帰りが便利である。

 馬返までクルマで、登山道に入ってもまったく雪がない。運転手もこの冬の天気はおかしいと言う。風も吹かない。
 一合目・鈴原天照大神の周辺には、一抱えもあるカラマツの大木が50センチの長さに輪切りにして、あちこちに置かれている。

 切り口を見ると洞のない大木で、よほどの強風に倒されたものであろう。倒木を整理した人たちがベンチ代わりにおいてくれたものと思われる。

 しばらく登っていくと、枝葉付きの大木が登山道を塞いでいる。コメツガの古木である。

 こちらはオフシーズン、9月30日・台風24号による風損で、一合目に掃除部隊が入ったときには発生していなかったようだ。

 単独で倒れたものではなく、洞のあるミズナラ(?)の老木が吹き倒されて、道連れにされて複雑な構造になっている。下手に枝払いすると跳ね返ったりして危険である。大型チェンソーで、端から順番に切り刻んでいくほかに片づけようがないだろう。

 二合目・小室浅間神社奥宮前の旧社殿は北半分が崩壊してしまってもはや救いようがない。かつて雨降りにはこのなかで弁当を使うこともあった。こうなるまえに行政はなんとかできなかったものだろうか。

   林道細尾野線に入ると、所々の日陰に吹きだまりの雪が現れた。カチカチに凍っているが斑である。滑るぞとアピールしている氷でも、木の葉や小石、草といっしょに踏み込めば大丈夫で、アイゼンは要らない。
   いよいよ女人天上に近づいて、林道から青空のもと、見上げる富士山は大きく懐を開いている。

 中央のいちばん高いところが白山岳、そこから右手前に下がる屏風尾根。吉田大沢を挟んで左からかぶさっているように見えるのが久須志岳、そして吉田口登山道は左の尾根を登っていく。

  最後の急斜面はコメツガの原生林で、雪がまったくない。

 1時30分、女人天上に着いた。

 東側、つまり朝日の昇る方向はシラビソの人工林がびっしり壁をつくって展望はまったくないが、南側、つまり富士山頂側は大きく切り開かれて展望が利くようになっている。
 これまでは、あの枝が邪魔だとなれば、人目がないことを見計らってゲリラが出動して根元から切り倒していたのだが、いまや恩賜林組合や行政の協力を得て、展望が確保されている。すその路郷土研究会の皆さま、ありがとうございます。 
 左のなだらかなピーク・久須志岳の左から、まぶしく輝く太陽が近づいている。
  1時50分、太陽を遮るように黒い雲が湧いてきた。
 われわれの中に、前世の悪行を悔い改めない奴がいるに違いない!

  おんあびらうんけんばーさらだとーばん

  おんあびらうんけんばーさらだとーばん

  おんあびらうんけんばーさらだとーばん   

 そして最後に、日没寸前に、奇跡が起こる。
         

 われわれは、2年がかりで、ダイヤモンドをつかむことができたのであった。

 

 以下にGPSデータに基づくわれわれの行動ルートを紹介しておこう。

 馬返から一合目は、登りは行政ご推薦の新道、下りは旧道を通った。

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