富士山のまだら豪雨

5月4日は朝から快晴、5:30、南西の空に居待ち月を見ながら藤沢の家を出る。
富士宮駅前9:00発車の富士山五合目行きのバスの乗客は2人。立ち寄った水ケ塚はフジザクラが満開だが五合目には大きな氷柱、雪はまったくないがまだ冬の世界だ。
まず気になったのは標高2500辰砲△詈永遊歩道。昨春大きなV字谷を刻んだ日沢(にっさわ)源頭部は、今年はどうなっているか。しかし宝永山荘から眺めてみるとなんら異変はない。渡ってみると踏み跡はきちんと残っている。何度かの大雨もここは無関係だったらしい。
日沢源頭部は昨年秋と変わりない一ノ木戸跡から下になると樹間に日沢の左岸が大きく抉り取られているのが見えてくる。標高2000叩富士宮市から富士市に日沢を渡る大きな岩組み「横渡」は、昨年3月時点で流された。日沢ではここ数年雪崩が発生していないので沢筋に土砂がたまることなく、雨でV字形に削られてきた。その挙げ句に岩が流され、河床が深く抉られてしまったのである。
それがきょうは土砂で埋まっていて簡単に渡れる。ズリ面に残された足跡から見ると5月3日未明の豪雨はここにはこなかったらしい。4月6日夜の豪雨を心配して翌朝登っていった 市川和秀氏が発見し、4月21日に登った三尾則之氏のFaceBookリポートの通りである。 昨年急造した「新横渡」は両岸とも高さ1メートル以上削られて河床への上り下りがむずかしくなっている。

新横渡の右岸取り付き

新横渡りの左岸取り付きしばらくは渡河地点が定まらないとになるだろう。昨年つけた「新横渡」の標識と張り巡らしたPP紐などをすべて撤収してさらに下る。
辟易したのは大倒木帯のなかを通じる登山道の荒れ方である。とくに岩屋不動分岐から大樅までの急坂の棒道は、雨を集めて奔流となり、このまま放っておけばV字峡になってしまうんではないかと心配になる。
ずっと下って標高1350鍛賄世蚤嫉蓋兎擦魯好イライン横道を横切る。このちょっと上側にスカイライン側溝の排水管があって、スカイラインの下をくぐって谷側に流す構造になっている。クルマで走る人には分からないが、この配水管の出口の先は不動沢熔岩流の苔庭になっており、「六観音」とされる史跡がある。ところが今回は雨水が流れ込んだ形跡はまったくなかった。
さらに標高1250辰涼羌榿幡堂。日沢を富士宮市に渡るのであるが、驚いたことにこれまで堆積していた土砂が流されて、河床の熔岩流の岩盤がむき出しになっている。

河床の熔岩流がむき出しになった日沢沢伝いに小さな滝を2本登ると、八大龍王・水神・井戸跡の遺跡がある。なぜか行政は史跡だと認知してはいない。
困ったことに洪水のたびに日沢の鉄砲水が左岸を削り、この史跡を脅かしてきたので、地元村山の人たちが蛇籠を組み土嚢を積んで応急策をとってきた。ところが水の勢いは思いもよらず、左岸と蛇籠の間を削り始めたのである。さてどうする、武田信玄でも呼んでくるか。
4月7日の市川写真では、水流が左岸を削りすぎて山が崩れ、大量の土砂が蛇籠を守る形になった。

左岸が崩れて蛇籠を守る(4月7日、市川)そして5月4日の畠堀写真では河床にたまっていた土砂が厚さ30其瓩流されて河床が下がった。

土砂が流されて河床が30センチ下がった
砂の上に残っている子鹿の足跡の新しさからすると、5月3日未明の豪雨は、土石流ではなく大水だったことが分かる。日沢の熔岩流むき出しもこの雨のせいであろう。

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