第9回 聖護院・富士山峯入り修行グラビア特集 その1

 第9回聖護院・富士山峯入り修行は、2019年(令和元年)8月18日(日)〜21日(火)に行われました。



 17日の前泊組は、吉原駅前のビジネスホテル菊川で、大女将はじめ皆さんの温かいおもてなし・見送りを受けて、18日7時30分に出発。皆さん、地下足袋が真っ白です。



 当日参加者も含めて午前8時、毘沙門天妙法寺の門前の宿・立場旅館(休業中)に集合、本山修験宗総本山聖護院門跡先達・草分俊顕師の挨拶を受けて出発。まだこのときは、これから待ち受ける猛暑の気配はなかった。



 まずは海抜0メートル、鈴川海岸に出て水垢離。台風10号の余波で、天気晴朗なれど波高し、足をとられる修験者も続出。



 『岳南朝日』(2019年8月21日付)でも紹介。この写真では、皆さん海水浴を楽しんでいるようにも見える。

 しかし事実は、YouTube土屋四郎「聖護院門跡 富士山峰入修行」を覧ください。

 吹き出したいところは、ぐっと堪えてくださいね。



 富士塚の上にのぼって勤行。関東一円に残っている富士塚は、登ると富士登山と同じご利益があるとされたが、ここは唯一、富士登山の出発点としての富士塚である。



 鈴川区管理員会の人たち大勢が待ち受けてくださり、先達・草分師による跨ぎお加持。
 往時の村山修験峯入り修行では、修行を終えた法印を村山から馬を差し向けて迎えたという故事にちなみ、先達は馬で旧東海道を進む(YouTube土屋四郎「聖護院門跡 富士山峰入修行(お馬さん)」参照)。

 


 左富士神社には鈴ではなく鰐口が掛かっている。勤行のあいだに向こうでは、依田橋町内会の方が、冷たい飲み物のお接待を準備してくださっている。



  岳南鉄道吉原本町駅前・松栄堂薬局では近隣の人が集まってこられて勤行とお接待、お加持。

 


 もともと村山の富士山興法寺大日堂と兄弟関係にあった富士山興法寺東泉院は、明治の廃仏毀釈で日吉浅間神社となった。六所芳和宮司によるお祓いのあと勤行とお加持、そのあと社務所を借りての昼食は、村山大鏡坊の末・おふくろ亭の弁当。

 


 『富士ニュース』(2019年8月22日付)は第1面ぜんぶを使って紹介してくれた。

 

 旧吉原宿の西端れ西見付跡でお馬さんとはお別れ、枡屋酒店からも冷たいお茶のお接待をいただく。

 


  広見公園に着いたのは午後2時40分、みんな茹で上がっている。

 


 気象庁アメダスの記録によれば、富士市のこの日13:00〜15:00の日照時間は2時間、つまりカンカン照り。気温は13:00で31・4℃、14:00で31・5℃。
 富士市のアメダス観測所は、ちょうどこの広見公園の西1キロ辺りにあるらしい。だからアメダス記録とわれわれ実体験の気温にそれほどの乖離があるとは思えないのに、どうしてこんなに蒸し暑かったのだろう。
 ここはまだ標高100メートルで村山は500メートル、距離は20キロの半分しか来ていないのだが、この先コンビニはない。

 


 穴原の釈迦堂で勤行。

 

 もと千貫松が生えていたといわれる佐野板金屋さんで、恒例の西瓜のお接待。一行は蘇生の思い。

 


  樒畑のあいだをただひたすら歩く。この辺り水田は一枚もない。農家の多くは植林用の杉・檜の苗を育てたり、仏壇用の樒を栽培している。

 


 

      銀杏畑の大杉家庭先では花月からかき氷・ゴーヤジュースなどお接待。

 


 ロケット花火で歓迎を受けて次郎長町・金森家に着いた。ビールの一滴もなめていないのに茹で蛸。

 

  次郎長町の盛大なお接待。テントの下にテーブルと椅子、ポカリスエット、西瓜やメロンが山盛り。


 次郎長町では老若男女ざっと40人がお加持を受ける。

 


 八大金剛童子で勤行のあとは、全員荷物をクルマに預けて午後6時10出発。ペースを落とし、ノンストップで村山までちょうど1時間。

 


  吉原を出発して11時間、やっと村山大日堂に着いた。

 

 おりしも大日堂では月例の読経会が終わったあと皆さん待機していてくださって、いっしょに到着の勤行。
 村山ジャンボでの夕食は午後8時から、アルバイトの学生さんを帰宅させますから、9時までに入浴を済ませてください。

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