思いもよらぬ歴史的発見 補足

 先に山梨県芦川渓谷にある古刹で室町時代の制作とされる役行者画像を発見したことを書いたが、役行者の真言が違うではないかと、鋭い質問が寄せられた。
  なーむじんべんだいぼさつ
  なーむじんべんだいぼさつ
  なーむじんべんだいぼさつ
 ではないかと。   
 確かに現在ではその通りであるが、われわれが立っている舞台は室町時代である。当時なんと唱えていたいう資料をわたしは知らないのだが、少なくとも現在のとおりではなかったはずだという時代考証の結果、あのように書いておいたのである。

 たとえば、和歌山県紀の川市の中津川には、現在でも修験者の修行を支えてきた五鬼とよばれる家々があり、行者堂境内には「役行者大菩薩」と刻んだ石塔が残っている

(「修験道場 中津川 行者堂」https://imachika.com/item/5a73576d23679c47e003041a/)。

 ところが役行者の真言にはちょいとした歴史がある。
《聖護院は、寛治四年(1090)、白河上皇が熊野に行幸された際、その先達を務めた増誉に、その功として建てられた寺院です。……天明八年(1788)の大火で御所が炎上してしまった際は、光格天皇が仮皇居としてはお住まいになり、政務を執られていたこともありました。そして、寛政十一年(1799)、光格天皇は役行者に「神変大菩薩」との諡号を贈っていますが、それはこの聖護院においてのことでした。それ以来、役行者を礼拝する折には、「南無神変大菩薩」と唱えるようになっています。》(『役行者霊蹟札所会』http://www.ubasoku.jp/organization/36jisha/shougoin.htm
 次に示すのはその時の勅書であり、全文が光格天皇の親筆とされる。

 画像データがなかなか入手できないので『山伏の総本山 聖護院門跡』(本山修験宗総本山聖護院門跡発行のパンフレット、発行年不明)からコピーさせてもらった。
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