せぼね君切断骨折

 このところ老眼がいちだんと進んできた。
 パソコン用にはやや弱い凸レンズで姿勢を正して使い、資料や書籍の細かい文字を読むときには度数の強いレンズを使い分けてきたのだが、最近は弱いほうでは新聞が読みづらくなり、パソコンも強いほうで操作することが多くなった。
 とくに困るのは、右眼の視力が落ちてきたようで、入力作業も左の独眼流で行っていることが多くなった。ミスタッチは増えるしはなはだ能率が悪い。眼鏡の作り替え時だろうと考えた。
 ところで、白内障手術が成功して生まれ変わったように元気になったお友達がいて、眼鏡屋に行く前に眼科医に行けと勧めるので診てもらったところ、めでたく白内障手術を受けることになって、日取りも決まった。忙しいお医者さんで執刀は2か月先のことである。
 そこでそれまでの日常生活である。このブログをお読みいただいている方はすでにご存じかと思うが、山梨・静岡両県内に残存している明治以降の古新聞を全ページめくって、富士山データベースを作ろうというのがわたしの生涯最後の仕事になる。
今日、そういった古い新聞の原紙を手にできることまれで、多くはマイクロフィルムでギコギコ見ていくことが多いが、静岡県立図書館にはマイクロフィルムをA3(おおよそ新聞1ページの半分)に出力した冊子がそろえてある。

 これは『静岡新聞』(1945=昭和20年1月28日付朝刊)の1面で、トップに富士宮市上空でB29に体当たりして撃墜した記事が載っている。

   そういう説明は省いて、これをお医者さんに見せて、全文読むわけではない、幾つかキーワードを決めて眺めていくんです、「あと10年、目が見えないと困るんです」。
 機転の利くお医者さんで、「こういうのを使ったらどうですか」と見せてくださったのがスタンプルーペ。

 これはいいと思ってネットで調べると困ったことに気づいた。各種製品について倍率は表記してあるが、レンズの直径など基本的なスペックが書かれていない。視界が分からないのだ。拡大読書機は高性能でモデル写真を見ると使い勝手も良さそうであるが、こんな高価な大物を一々図書館まで運んでいくわけにもいかない。
 さいわい軽量そうで視野も十分広そうなルーぺが見つかった。軸が背骨のようにくねくね曲がってレンズ面の角度が自由に変更できるので“せぼね君ルーペ”という。

 角度が前後だけでなく左右にも変えられるというのは重要なことで、天井灯の反射を避けることができる。スタンプルーペのように資料の上に直に置かないので、資料を傷めることもない。時に規則の権化のような司書さんがおられて、怒りを買うこともないわけである。
 難点を言えば、レンズの周辺部分がやや見えにくいので、そのつど首を左右に振って覗き込まないと見落としが出る可能性が高まる。

 紙面の左端に「殺人事件と判る 高岡村の老女焼死事件」という記事がある。
 ふつうは大見出しの中にある小見出しは、記事全体の中見出しだと素通りするところだが、首をちょっと振ると、大見出しのすぐ左に「富士山で自殺か」というゴチック活字が目に入る。正面にルーペを回して見ると、別の事件である。

《富士山で自殺か
駿東地区御殿場警部派出所へ警視庁から四日朝東京都渋谷区代々木山谷町三六会社員伊藤庫爾氏(四五)が去月卅一日朝富士山頂で自殺する旨の遺書を置いて家出したとの通報があつたので、同所で山中各石室に手配捜査している》(『静岡新聞』1950=昭和25年8月4日付夕刊)
  もう1つ事例を挙げておこう。

 「亡友の供養塔建立 遭難両君に寄せる友情」という記事がある。
 これも遭難現場が分からないから素通りする可能性が高い記事であるが、本文1行目の《【沼津発】本年一月七日、富士雪》がちらりと目をかすめるので、続いて《中登山の途次、御殿場口八合目で遭難死亡した御殿場町新橋岩城則康、同町二枚橋方壁俊郎両君の》(『静岡新聞』1950=昭和25年8月13日付朝刊)と読んでしまって、富士山での遭難関連記事だと気づくのである。
 ネット通販で購入して図書館に通うこと2日目、ザックから“せぼね君ルーペ”を引っ張り出すと、嗚呼!!

 背骨が根元から折れているではないか。
 しかしご安心ください。
 初日は冊子の右側を、台座を向こうからこちらにスライドさせながら首を左右に振って両端の記事を確かめていたのだが、2日目からは顔の前面20センチのところに“せぼね君ルーペ”を持ってきて、上からジグザグに首を振って新聞の下端まで見渡すことができるようになった。
 初めから背骨も台座も要らなかったのだ。何だか得をしたような気分である。

コメント