村山古道巡視 20年その2

 前回のブログ《村山古道巡視 20年その1》(2020.05.13)で、数年前に「ゴミ捨て林道の終点」から天照教の間の間伐が行われたことに触れたが、今回歩いてみてこの区間の路面はずいぶん安定してきたなという印象であった。

 これは「ゴミ捨て林道の終点」すぐ上の間伐跡である。林床に日光が届くようになったためであろう、斜面ぜんたいに草本類が広がり灌木も生えてきた。スズタケが枯れたあと雨水は表面流として垂れ流しだったが、地面の保水力も復活していくだろう。
 登山者にとってなにより嬉しいのは、登山道に剥き出しの熔岩流の隙間に土がたまり、雨水で洗われて不安定だった浮き石が落ちついてきたことである。
  次の写真は、昨年複合倒木が発生して通行不能になった熔岩流ルート部分である。

 そもそも足許が見えない。
《13:17現場到着。10年物のヒノキ3本が、直径5センチ超のフジに絡みつかれて倒れ、ヒノキの枝がサンショウなどの灌木を抱き込んでいるので押しても引いてもだめ。まずヒノキの枝を1本ずつ切り落として絡んでいるフジの蔓を切り離すのだが、雨こそ降っていないのに樹皮も葉っぱもびしょ濡れ。なぜか粘土のような泥が手のひらにくっついてきて、鋸をひく手がぬるぬると滑る。ともかくも刻んだ枝は1本ずつ斜面の上の方に立てかけ、さらに次の枝を切り落として絡んでいる蔓を切り離し、という作業の繰り返しを2人とも30分以上続けてようやく登山道が見えてきた。最後にむき出しになって通路に横たわっている10メートルの丸太の支点と引っかかり具合を計算して鋸で真っ二つに切断する……。やれやれ終わった、村山古道だから、ちったあワイルドさも残しておかなくてはいけない、ということで14:10作業終了》(2019年7月16日の日記より)
 頭を下げたり腰を捻ったりするところもあるが、今年はスムーズに通過できるようになっている。
 
 これを過ぎるとやや急坂になるが、不正規ながら熔岩の階段になっており、路面は安定している。体重をきちんと掛ければすべることもない。
 あと20分で天照教本社かなというところで4輪駆動車の遊び場を見つけた。

 右下へ向かう抉れた道が以前は4輪駆動車の本通りだったのだが、深くなりすぎたためかよほどの自信家でないと踏みこまなくなったようだ。そのかわり、正面の変形急斜面は上ったり下ったり、かなりのテクニックが楽しめそうだ。
「対戦車用地雷埋設」と看板を出したいところだが、ホンモノの自衛隊地雷処理班が出動するとまずいので自粛しているところである。
 ここから天照教までに設置した2か所の水切りは十分に機能して村山古道を守ってくれている。この1年間にたまった土砂を掻き出してやればいい。
 天照教林道の村山古道入り口には、土砂がいちめんに広がっている。ここも数年前に登山道の両側が間伐されて、その影響で土砂が流れこんでいたものだが、ほぼ止まったようである。両側の流域面積がそれほど広くないためかもしれない。
 ただし上の方の登山道が水平になったところでは、富士山麓山の村から古い作業道を伝わって大量の土砂と水が流れこんできて、村山古道を埋め尽くそうとしている。それを防ぐために左のほうから土嚢を並べ登山道部分には水切りがつくってある。しかしこれは1年とたたないうちに埋まってしまうので、毎年つくりなおして作業道の右の方(東)へ逃がす必要がある。
 吉原林道を抜けて山の村の汚水管を跨ぎ吊り橋をくぐると不動沢熔岩流の末端の崖に突き当たる。昨年以来あらたな崩落は発生していない。

 まもなく、富士山麓山の村の緑陰広場に出る。広場いっぱいに並べられていたベンチやテーブルはすでにない。
 
《高校生の集団宿泊訓練施設として30年前に設立された「静岡県立富士山麓山の村」(富士宮市)が、今月いっぱいで閉鎖される。施設の老朽化に加え、設立当初に比べて利用校が激減したことが理由という。》(朝日新聞デジタル>静岡 2019年10月20日03時00分)
 建物はまだぜんぶ残っているが、トイレは封鎖され蛇口からは一滴の水も出ない。
 山の村の周辺はほとんどヒノキの人工林と化しているが、この区画だけが新緑に萌えている。
 

コメント

富士山麓山の村の閉鎖後の画像と情報はショックです。
沢山あった丸太を組み合わせたテーブルやベンチが撤去され
村山古道で唯一の水が断たれ、トイレも使えない。
水は豊富で冷たく美味しく、トイレも気持ちよく使わせてもらいました。
食事やおやつに格好の場所だったのに・・・。
日川もこの辺は小さく穏やかで、これから先、まだまだ長い登りの村山古道の中で憩いの場所でした。
人がいなくなってもシナノキはお元気でしょうね。