カワカブ会からの講演依頼

 カワカブ会から講演の依頼があった。
 中国はチベット高原の南東部に梅里雪山がある。長さ30キロほどの連山で、最高峰がカワカブ、6740メートルである。といえば何でもないようだが、長江・メコン川・サルウィン川の源流部といえば、冒険家が聞けば心騒ぐ秘境だと想像がつくだろう。

 


 1991年に日中合同登山隊がここをめざして、17人が全滅した。この一帯はチベット仏教徒の聖地として入山禁止となったこともあって、いまだに全山が未踏峰。4半世紀経ったいまでも全員の遺体は発見されて居らず、巡礼の旅を続けているのがカワカブ会である。
  与えられたテーマは富士山で村山古道が中心になるが、この数年係わった甲斐修験にも触れたい、伊勢志摩に残っている富士山信仰も紹介したい、あれもこれも……。
 次の日の未明、役行者が夢枕に立ち、おっしゃった、「まずはカグヤヒメ問題をしっかり押さえること」。
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   金春禅竹の作とされる謡曲「富士山」は、中国・昭明王の臣下が不老不死の薬を求めて、富士の裾野にやってくる。そこで応対するのが赫夜姫。
《おう浅間〔せんげん〕大菩薩とは、さのみは何といふ女の姿。……そもそもこれは、富士山に棲んで世を護る、火の御子とはわが事なり。》(金春禅竹「富士山(金剛流)」『新装愛蔵版 解注謡曲全集巻五』中央公論社、1985)
  15世紀前半、都人士にとってみれば、富士山の赫夜姫信仰は常識であったことがうかがえる。
  では地元、富士山南麓・岳南地方ではどうか。
《一浅間 赫夜姫 本地大日……》(「K11 村山浅間七社相殿」『村山浅間神社調査報告書』富士宮市教育委員会、2005年)
書かれた年代は不明であるが、富士山興法寺境内にあった浅間社の祭神は赫夜姫であり、本地は大日如来だという。富士宮市村山にある富士根本宮村山浅間神社のことであるが、いまは祭神は木花之佐久夜毘売命である。
《六所浅間宮……祭神 赫夜命姫》(新庄道雄『駿河国新風土記』天保5=1834年成立、『修訂駿河国新風土記下巻』国書刊行会、1975年)
  今日、富士市の富知六所浅間神社こと、通称三日市浅間神社の主神は大山祗命、木花之佐久夜売命は配神の一柱である。
  これらの事例は研究者の間では知られていたが、一般には富士山を祭る浅間神社の祭神は万葉の昔からコノハナサクヤヒメだと信じられている。
《主祭神 木花之佐久夜毘売命(別称:浅間大神(あさまのおおかみ))
相殿神 瓊々杵尊(ににぎのみこと)大山祇神(おおやまづみのかみ)
「日本(ひのもと)の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも」と万葉の歌人高橋蟲麻呂が詠んだ清らかで気高く美しい富士山。この霊山を御神体として鎮まりますのは、浅間大神・木花之佐久夜毘売命にまします。》(富士山本宮浅間大社ホームページ)
  ところが、富士市今泉にあった古義真言宗の旧東泉院に残っていた社寺などの縁起類によると、岳南一帯はもとより富士山の北側になる忍野あたりまで、ガグヤヒメ信仰が広がっていたことが分かったのである(『富士山縁起の世界−−赫夜姫・愛鷹・犬飼』冨士市立博物館編集・発行、2010年)
 ではなぜ、カグヤヒメがコノハナサクヤヒメにすり替わったのか。
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  事の発端は、たぶん、こうである。  

 江戸時代初期の朱子学者・林羅山は元和2年(1616)東海道を旅行している。
《伊豆の三島は、むかし伊予国より遷して、大山祇紳をいわゐまつる。いつぞや相国の御前にて、三島と富士とは父子の神なりと、世久しく云伝えたりと沙汰有ければ、さては富士の大神を、木花開耶姫と定め申さば、日本紀の心にも、かなひ申べきなり。竹取物語とやらむにいへるかぐや姫は、後の世の事にてや侍らん。》(林羅山『丙辰紀行』) 
事実関係を『日本書紀』に合わせろと主張している。

 ここに出てくる相国というのは徳川家康のことで、「いつぞや相国の御前にて」と思われる文章も残っている。場所は駿府、いまの静岡市である。
《余、駿府に在りて幕下に侍る。次で富士浅間の縁起を見る。聊か其の要を標出して以て此に記すること右の如し。其の余は観るに足らず。》(林羅山『本朝神社考』、谷川健一編集委員代表『日本庶民生活集成 第二十六巻 神社縁起』三一書房、1983年)
「右の如し」とあるようにこの前段で「富士浅間の縁起」がかなり細かく引用してあるのだが、ここ(このブログ)では長すぎるので割愛する。講演会資料ではみなさんのお目に掛けよう。

 まずは仏教批判。
《或は曰く、此の山天竺に有り、飛び来る。或は曰く、浅間大明神は本地大日如来、愛鷹の大明神は本地毘沙門。又曰く、不動明王と。或は曰く、弘法諸尊の石像を造る。或は曰く、智証理智一門記を作ると。皆是れ浮屠氏の誇謾にして世人多く之を信ず。余が取らざる所なり。》(同前)
  つづいてカグヤヒメなど大嘘だと主張。
《且つ又竹中の女を以て桓武天皇の時の事と為し、使者を以て坂上田村丸と為す。是等は大謬説なり。余、万葉集を観るに既に竹姫の事を載す。又竹取物語、賀久夜比売、其の時世を云はず。国史、桓武を山城国柏原の陵に葬る。然らば則ち何ぞ富士崛中に入ることを得むや。》(同前)

 このとき林羅山が目にしたのは静岡浅間神社の資料だったはずで、現物を見ることはできない。しかし前段で引用してある内容を子細に読み込むと、たぶんこれと同じ内容であろうというものがある。浅間大社が発行した資料集に収録されている「富士大縁起」である(『浅間文書纂』官幣大社浅間神社社務所編纂兼発行、昭和6年)。
  今日のホームページとはずいぶん違う内容である。

 


 こちらは漢文の白文で読みづらいことおびただしいが、これまで研究者からも引用されたことがないようなので、これからテキスト化して皆さんにご披露することにしよう。
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 講演会は6月24日(日)午後2時から、新宿歴史博物館・講堂にて。委細が固まったらまた順次お知らせします。

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