村山古道巡視 20年その4

 苔は村山古道の宝である。南北に流れている熔岩流がここだけ西にはみ出している。転げ落ちた無数の熔岩塊にまみれる苔も新緑である。

 ほかの植物との共生を嫌うのか競争が弱いのか、ミツバツツジは保水の悪い栄養分の少ない熔岩流に沿って分布する。

 標高1600メートル、スカイライン縦道の村山古道入り口にも新緑が登ってきた。

 大樅はカニコウモリ、コウモリソウが芽生えたばかり。堪えきれなくなっていたモミの朽ち木が倒れ込んでいた。

 この上のヘツリを渡ると小倒木帯の棒道が始まる。村山古道随一の急坂である。地形全体が凹んでいるので雨水が登山道に集中して流れる。
 水を逃がす場所も限られてごつごつの瓦礫地なので土嚢を造ろうにても詰めものになる土砂がない。水路がきちんと掘れて瓦礫を積み上げたところの水切りは効果を発揮してくれるが(左)、多くは登山者に蹂躙されて1年も持たない。雨水は流れたいほうだいである(右)。

 岩屋不動への脇道は、一昨年の台風による倒木で通過するのに困惑するほどであった。多くは谷側に向けて倒れており、山頂からの吹き下ろしによるものと考えられた。いかんせん数が多いのと、太い倒木が多いので、去年の道普請はちょこちょこ、倒木の脇を通らせていただくか、大きく迂回路を造るにとどめておいた。
 ところが今回行ってみると、あの太いたいへんな数の倒木がことごとく片づけられている。

 丸太を切るときには、切り口が開くか閉じるか見極めておかなくてはならない。閉じてくると鋸が両側から挟まれて、押しても引いてもびくともしなくなる。そこでまず上からV字形に切れ込みを入れる。そして下から跳ね上げるように切り上げると丸太の自重ですとんと落ちる。
  2か所切らないと落ちないこともある。斜めの削ぎ切りなどベテランの余裕である。こういう名人芸をもっているのは誰だろう。
 岩屋不動に降りる最後の斜面は、足許の熔岩流の塊が立ち木ごとずり落ち、枯れ木は根を剥き出しにしている。底が雨に洗われるのか、地割れにしみこむ水の氷結が原因か。去年より酷くなっている。

 しかし洞窟自体には驚くべきことが判明した。
 つぎの2枚の写真をよーく見比べていただきたい。

 人が写っていないこちらが2020年5月21日の撮影。

 男どもが首や手を突っ込んでいるのが2008年11月23日のすがたである。こちらはムラヤマフジコチャンのフォルダーから探し出してもらった写真で、両者のトリミングを揃えてある。
  すべての岩角、割れ目や隙間、凹みや出っ張りがピタリと一致している。差があるのは右下に写っているハンノキの太さだけで、12年間の成長を示している。できたらモノクロでいいから普通紙にプリントアウトして、重ねて透かして見ていただきたい。
 われわれは大雨のたび地震ごとに、割れ目が広がった岩が下がったと騒いできたが、それらはすべて思いこみ・勘違いであったということになる。
 熔岩洞窟は強靱である。2011年の3・11東日本大地震、その4日後に発生した震度6強の直下型地震にもびくともしていなかったのある。

  笹垢離に流れこむ雨水を防ぐ水切りは成功していない。六地蔵の残り3体ほか相当の遺物が眠っているはずで、発掘調査が行われるまではなんとか守りたいものである。

 大倒木帯はハンノキ、ナナカマド、トドマツなどが先陣を切ったがどうやらカラマツの幼木を中心に若い森林帯に遷移しているらしい。しかし基本的にはまだ禿げ山である。丸まった地形の割には登山道に雨水が集まって水路になりかかっているところが多い。

 日沢にはことしも雪崩が発生しなかったようだ。
 つぎの写真は2007年5月のスラッシュ雪崩の直後のものである。

 砕かれた木々の根や枝のほか、大量の土砂が流れこんで堆積していることがお分かりであろう。
 日沢は春先の雪崩で埋まり、春先からの雨で谷底が削られて秋にはV字谷になってきた歴史があるが、ここ数年雪崩が発生していない。つまりV字谷の底が一年中削られて熔岩流が露出するようになってきた。

 左は2016年6月12日、右は2017年5月23日の横渡の、左岸からみた写真である。地元の登山家からの報告によれば、17年3月にあの大きな岩組みが流されたらしい。右岸に残された丸太の位置から、横渡に何が起こったか推定してただきたい。
  ことしの横渡は去年とほとんど変わらない。

 雨に叩かれた踏み跡から考えて、おそらく1週間以内に1人の登山者が左のザレ場を登ったと思われる。右から回り込んでモミの幼木の上側を抜けるるルートが去年造ってあって健在である。

 

 おわりに。
 ことしの村山古道にとくに危険な損壊場所はなかった。登山道の路面も全体的には安定してきているという印象である。去年秋の風台風による新しい風倒木はほとんどんなかった。その代わり雨量はかなりあったようで、何か所か路面が荒れて歩きにくい所もできている。

村山古道巡視 20年その3

 富士山麓山の村の緑陰広場の向こう端から右に日沢(にっさわ)を渡って、ヒノキの植林地の溝道をたどる。ここは歩きやすい平らな土道であったが、この向こうに広がる扇形の流域に降る雨がぜんぶこの窪みに集まるために年々掘り下げられて、両側が崖のようになってきた。

 この写真は昨年7月7日のもので、まだまだ楽に歩くことができる。
 ところが今年はどうだろう。

 浮き石が重なって、まるで沢筋を歩くような感じになってきた。一雨ごとに浮き石が動いて足許が安定することはない。登りはともかく下りにとると、足首捻挫の危険性すらある。右の写真にみるように段差の位置はどんどん後退して行くばかりである。
 われわれはこの地点でこの溝道の底は諦めて、左の高みを歩くことにした。そこはこれまでも多くの人が歩いているらしく無数の踏み跡がある。
 この道にはいったら適当なところで高みに上がればいい。溝道から離れないよう踏み跡を繋いでいけば、間もなく幹周り5メートルのミズナラの老木がある。その先の枝を切り刻んだ倒木をまたぐと馬頭観世音の石像まえに出る。そこからはしっかりした踏み跡になる。
 大淵林道を過ぎたところで左折して日沢を渡ると少し傾斜のついた土道になる。ここも雨水による路面の削られ方が目立ってきた。これまで30年間、びっしり植林されたままいっさいの手入れをされないできた左(西)のヒノキ林が、間伐されたのである。

  この写真をみると間伐というよりは皆伐採といったほうがいいかもしれない。

 この写真の左は去年の6月22日に補強した土嚢のダムである。すこしでも雨水の流れる勢いをそいでおきたいと思ったのである。    ところが今回いってみると、土嚢がごっそり押し流されている。鉄砲水のような濁流がおしよせたのだろうか。
 下から登っていくと分かりにくいのだが、さらに右側(東)には南北にずんと貫く防火帯が設定されてしまった。

 この写真の右から左に横切っている溝が村山古道である。
 この部分に草が生え灌木が育って保水力を持つようになるのが先か、新たな土石流の発生源となってすぐ下の登山道を埋めつくし押し流してしまうのが先か、ちょっと見当がつかない。

 中宮八幡堂は、いまやバイケイソウの王国ながら無事である。水平を気にして注意深く見ていただきたい。石柱がちょっぴり左に傾いているのにお気づきだろうか。
 押して直そうとしてもびくとも動かない。これは2011年の3・11の4日後、この地下10キロで発生した直下型地震の被害である。富士宮市では震度6強、地面が東西に揺れ動いたことを示している。
 日沢の氾濫で岸が削られて流されるのではないかと危惧された水神と八大竜王は、左岸高みに移転して無事である。

 日沢に下りる経路は、炭焼き窯跡のすぐ上のトラロープ口、さらにその上に最近造られて蛇籠目指して下るルート、村山古道の日沢徒渉点の3か所があるが、いずれも河床部分が水流で削られてハングしている可能性があるので、注意が必要である。
 日沢を渡ると不動沢熔岩流地帯となり、路面が雨水で削られる心配はなくなる。両側とも一面の苔である。
 女人堂跡を過ぎ、間もなくスカイライン横道に着くという右側に、「西河原 六観音」(『富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図』嘉永4年)に比定される遺跡がある。
 
 ぐるりと囲んで残っているのは建物の礎石、左隅の凹みはその昔のトイレ跡ではないかと言われている。その筋の専門家に分析してもらえば、往時の食生活の実態や修験者が飼っていた寄生虫が分かるかもしれない。
 ところがご覧のように、その貴重な部分から、流れてきた土砂に埋もれようとしている。原因は静岡県道表富士周遊道路、すなわち富士山スカイラインからの排水である。
 じつは以前からこの心配があったので、3年前の7月の末、遺跡の左上の熔岩塊のあいだに土嚢を列べて土砂の流入を防いでおいたつもりである。18俵使った。そのさいせっかくの苔蒸した熔岩流の景観を損ねないよう、わざわざ黒い土嚢を買い求め、岩陰や倒木の後ろに配置したから、登山道からは見えない。その堤防が満杯になったのかもしれない。
 スカイラインからの排出口がこの写真。
 
  左の写真の上端に斜めに見えるのがスカイライン。雨が降るとこの上の孔から噴水のように泥水を吐き出す。
 孔のすぐ上、谷側のL型側溝はなめらかで雨水は路面を流れるだけである。孔からたどった道路の反対側が右の写真。スカイラインの山側のL型側溝を流れてきた雨水の大部分がこのグレーチングの隙間に流れむ。

 距離があるから雨脚が強いときにはたいへんな水量になるだろう。
 この排水孔の位置がスコリア地帯であれば何とかなるのだが、苔蒸した熔岩流地帯であり、貴重な遺跡のすぐ上であるということが、問題をむずかしくしている。

村山古道巡視 20年その2

 前回のブログ《村山古道巡視 20年その1》(2020.05.13)で、数年前に「ゴミ捨て林道の終点」から天照教の間の間伐が行われたことに触れたが、今回歩いてみてこの区間の路面はずいぶん安定してきたなという印象であった。

 これは「ゴミ捨て林道の終点」すぐ上の間伐跡である。林床に日光が届くようになったためであろう、斜面ぜんたいに草本類が広がり灌木も生えてきた。スズタケが枯れたあと雨水は表面流として垂れ流しだったが、地面の保水力も復活していくだろう。
 登山者にとってなにより嬉しいのは、登山道に剥き出しの熔岩流の隙間に土がたまり、雨水で洗われて不安定だった浮き石が落ちついてきたことである。
  次の写真は、昨年複合倒木が発生して通行不能になった熔岩流ルート部分である。

 そもそも足許が見えない。
《13:17現場到着。10年物のヒノキ3本が、直径5センチ超のフジに絡みつかれて倒れ、ヒノキの枝がサンショウなどの灌木を抱き込んでいるので押しても引いてもだめ。まずヒノキの枝を1本ずつ切り落として絡んでいるフジの蔓を切り離すのだが、雨こそ降っていないのに樹皮も葉っぱもびしょ濡れ。なぜか粘土のような泥が手のひらにくっついてきて、鋸をひく手がぬるぬると滑る。ともかくも刻んだ枝は1本ずつ斜面の上の方に立てかけ、さらに次の枝を切り落として絡んでいる蔓を切り離し、という作業の繰り返しを2人とも30分以上続けてようやく登山道が見えてきた。最後にむき出しになって通路に横たわっている10メートルの丸太の支点と引っかかり具合を計算して鋸で真っ二つに切断する……。やれやれ終わった、村山古道だから、ちったあワイルドさも残しておかなくてはいけない、ということで14:10作業終了》(2019年7月16日の日記より)
 頭を下げたり腰を捻ったりするところもあるが、今年はスムーズに通過できるようになっている。
 
 これを過ぎるとやや急坂になるが、不正規ながら熔岩の階段になっており、路面は安定している。体重をきちんと掛ければすべることもない。
 あと20分で天照教本社かなというところで4輪駆動車の遊び場を見つけた。

 右下へ向かう抉れた道が以前は4輪駆動車の本通りだったのだが、深くなりすぎたためかよほどの自信家でないと踏みこまなくなったようだ。そのかわり、正面の変形急斜面は上ったり下ったり、かなりのテクニックが楽しめそうだ。
「対戦車用地雷埋設」と看板を出したいところだが、ホンモノの自衛隊地雷処理班が出動するとまずいので自粛しているところである。
 ここから天照教までに設置した2か所の水切りは十分に機能して村山古道を守ってくれている。この1年間にたまった土砂を掻き出してやればいい。
 天照教林道の村山古道入り口には、土砂がいちめんに広がっている。ここも数年前に登山道の両側が間伐されて、その影響で土砂が流れこんでいたものだが、ほぼ止まったようである。両側の流域面積がそれほど広くないためかもしれない。
 ただし上の方の登山道が水平になったところでは、富士山麓山の村から古い作業道を伝わって大量の土砂と水が流れこんできて、村山古道を埋め尽くそうとしている。それを防ぐために左のほうから土嚢を並べ登山道部分には水切りがつくってある。しかしこれは1年とたたないうちに埋まってしまうので、毎年つくりなおして作業道の右の方(東)へ逃がす必要がある。
 吉原林道を抜けて山の村の汚水管を跨ぎ吊り橋をくぐると不動沢熔岩流の末端の崖に突き当たる。昨年以来あらたな崩落は発生していない。

 まもなく、富士山麓山の村の緑陰広場に出る。広場いっぱいに並べられていたベンチやテーブルはすでにない。
 
《高校生の集団宿泊訓練施設として30年前に設立された「静岡県立富士山麓山の村」(富士宮市)が、今月いっぱいで閉鎖される。施設の老朽化に加え、設立当初に比べて利用校が激減したことが理由という。》(朝日新聞デジタル>静岡 2019年10月20日03時00分)
 建物はまだぜんぶ残っているが、トイレは封鎖され蛇口からは一滴の水も出ない。
 山の村の周辺はほとんどヒノキの人工林と化しているが、この区画だけが新緑に萌えている。
 

薬師如来湯

 大事なことを報告しておかなくてはならない。
 某月某日−−というのは前回(2020.05.13)のブログ《村山古道巡視 20年その1》の帰りのことである。富士宮駅前に立ち寄った。
《富士高砂酒造(静岡県富士宮市)は、手指の消毒に使用できる高濃度エタノール製品の製造販売を始めた。アルコール度数77%の「高砂アルコール77」(500ミリリットル、税抜き1250円)で、医療機関に優先的に提供する。》(朝日新聞デジタル>2020年4月29日 10時30分)
 富士宮市の高砂酒造といえば、薬師蔵に安置してある下山仏・薬師如来立像3体。

 うむ! 薬師如来湯を手洗いに使うなどもったいない。内服薬として使えば、コロナウイルス感染予防、あるいは肺炎治療に効能があるんではないか。知り合いの病院関係者に言わせると品薄で、入荷待ちだという。
 記事を読んですぐ、富士宮駅前のブンゴヤに電話した。村山の山本商店廃業のあと、銘酒“村山古道”置いてくれている貴重な酒屋さんである。
「タカサゴの77パーセント、手に入りますか」
「置いてありますよ」
「エッ、2本隠しておいてください」
  この隠匿物資をこの日、ついにゲットしたのである。

 薬師如来湯と般若心経マスク(2020.04.24《マスクを手作りしました。》)さえあれば、コロナウイルス対策としては万全である。WHOテドロス事務局長にも教えてあげよう。
 このあと十里木越えで御殿場に出て沼津ナンバーのレンタカーを返し、荷物は神奈川ナンバーに積み替えて東名に乗った。
 静岡県警のしつような追尾を振り切り、神奈川県に逃げ込んだという気分であった。

村山古道巡視 20年その1

 私のパソコンには「富士山」というフォルダーがあって、5月10日現在2676個のファイルが保存されている。昼夜を問わず、富士山関係の記事や事件があれば追加していくのでどんどん膨らんでいくのだが、先日「コロナ感染 富士山を呑み込む」というファイルを建てると増加がほぼとまった。新しい富士山関係記事がほとんどここに分類されてしまい、発表時系列で並べている。
  富士山の最新情勢はどうだろう。
《長崎幸太郎知事と富士北麓の7市町村長は23日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、「大型連休中、観光・レジャー目的での富士北麓地域への来訪はお断りします」とする共同宣言を発表した。》(2020年4月24日付 山梨日日新聞)
《川勝平太知事は22日、「東京は危ないから静岡にでも行こうという人は止めないといけない」と語り、「5合目以上は山小屋を閉じてもらう方向になっている。『富士山に来ても登れませんよ』というメッセージを全国に出したい」と述べた。》(朝日新聞デジタル>2020年4月24日 10時30分)
  ふむふむ、ゴールデンウイークは外れているし、われわれには村山古道の安全確認というの目的もあるので、山梨・静岡両県知事の逆鱗に触れることはあるまい。

 某月某日、5:00気象庁のレーダー・ナウキャストを見ると、富士山の南斜面にポツンと雨雲があるが間もなく消えそうだ。東名を走っていると青空が広がってきて真っ白な富士山が現れた。御殿場で沼津ナンバーのレンタカーに乗り換えて東富士演習場を通りすぎる。2月の野焼きから3か月、両側の新緑が萌え上がっている。雪の縁がくっきりしている、昨夜の豪雨は富士山でも雨だったようだ。

 村山古道最奥の民家、鯛津家の畑越しに富士山が招いている。
 村山古道に入ると、まだ早春である。
 
 六辻の草は芽生えたばかり。

 これは去年の7月16日の写真。日当たりがいいので、放っておくと開山のときには背
丈を超える草むらになる。
「しの字杉」も健在で、村山古道の路面はずっとどこまでも安定している。
 10年ほど前はこの辺り一帯は間伐がおこなわれており、雨のたびに作業道から大量の水が流れこんで路面を洗い、足許の岩をむき出しにしていた。土嚢を積んで流れをせきとめ水切り造り。冬になれば霜柱が幾重にも立って土を持ち上げ、春になれば土が崩れて岩を隠してくれた。雨に叩かれ多くの人が踏み固めてくれた結果である。
 しかし、北井久保林道を過ぎて札打場のすぐ下、村山古道をブル道が横切るところに来て、びっくりした。ブル道が4メートル幅に拡幅されている。
 
 この写真の手前側、左から右へと村山古道が横切っていたはずである。
 昨年6月、ブル道を流れてきたゴミがダムとなり、左下の村山古道に流れ落ちるようになっていた。
 
 瓦礫の上に土嚢を積んで、さらに丸太で補強した。

 さらに、ブル道の中央を雨水が流れ下るよう、村山古道が横切る下まで導水の溝を掘っておいた。

 ところがいまみると、村山古道の下側の路面が盛り上げてある。

 ここを堤防にして雨水を手前右下の村山古道に流し込もうという設計である。
 札打場で昼食にして出発して間もなく、自然石が階段状になっていて、高みに上がるはずの石段が崩れている。先ほどの作業道は迂回して、この先に延びているらしい。

 この写真の右下の丸太が散乱している窪みが村山古道の登り道である。
 このすぐ上には、土嚢12俵を積んで補強した水切りを造っておいたのだが跡形もない。村山古道に雨水が流れこむことになるだろう。

 さらにそのすぐ上には土嚢47俵を積んだ水切りを造って万全の構えの積もりであった。土嚢の上の丸太と落ち葉は登山者向けのアピールで、土嚢が破れるので上がらないでくれという意味である。

 両側にはね除けられた土嚢や丸太が、その位置を示している。
 新しい作業道を造るにあたって、手作業ではとても削れないような、大がかりな水切りも造られている。

 ズブズブとこの泥沼を歩くわけにはいかない。
 しかし、雨が降れば地面は固くなるし、足場を選んで歩けばいい。とりあえずは右側の土手の上を伝って行くことにしようか。
 この日われわれはこのすぐ上の「ゴミ捨て林道の終点」まで行って引き返した。
 そこから天照教までの間は数年前に大規模な間伐が行われている。当初は枝付きの丸太を村山古道めがけて伐り倒してあるので、通過できない場所もあった。しかし間もなく間伐材は片づけられ、新しくできた水切りも安定してきて歩きやすくなった。熔岩流むき出しの谷渓と化した場所にも、少しずつ新しい土が溜まりはじめている。
 こんどできた新しい作業道も、連休が明ければ間もなく間伐材の搬出も終わるだろう。少しずつ安定化への歩みをはじめるだろう。スズタケが全滅した林床にも日光が差し込めば、新たな下生えも期待できる。

 人が歩いている限り、村山古道は少しずつ鍛えられ成長していく。

ついに“コロナ”発見!!

 皆さん、運動不足をどのように解消しておられますか。
 某月某日(月)、不要不急の外出禁止令が出されて厳戒のなか、始発電車に乗った。さすがにガラガラ。

 ラテン系の甲高いお喋りが聞こえないから派遣の人は全滅したと推定できる。この期に及んで朝早く出勤しなくてはならないのはどういう職業の人かな。窓が開けてあるから気持ちがいい。
 伊勢原駅に着いたのは6:17。きょうの最終目的地は三本松の寿雀卵直売所だから、歩いて20分。開店は9:00、2時間以上も前から一番乗りしようという意気込みではない。
 駅の階段をおりて目の前にある1の鳥居を潜って、大山に向かうバス通りを歩く。コロナ休業なのか、まだ始業時刻がきていないためなのか、開いている店はない。東名を潜ると左に2の鳥居があって広場にお茶が植えてある。新芽をちぎって口に入れる、混ぜもののないオチャーッである。
 第2東名のための遺跡発掘現場や関連道路がゴチャゴチャしている間を抜けると道路に少し傾斜がつく。直進すると大山ケーブル・バス停に上がってしまうので、石倉信号で右折する。ここからがわたしにとって初めての道で、旧家の庭先の植木や花が見事である。

 青面金剛石像の写真を撮っていたら、石像の向こうから庭で草むしりしていたご主人の顔がヌッ、「おはようございます」。
 間もなく日向薬師に向かうバス通りに出て、左折する。ここからは日向薬師に向かう通い慣れた道だ。ときおり地元の爺ちゃま・婆ちゃまが、走っているんだか歩いているんだか、わたしもその仲間入り。
ここから山が近づいてくる。

 ここは新緑だけでなく、紅葉のときも見惚れる場所である。
 まもなく日向山が見えてくる。

 右の盛り上がりと、左の高みのあいだにちょこっと頭を出しているのが日向薬師の日向山である。
  8時を過ぎた。いまのぼってきたバス通りをひたすら下る。体重移動はスムーズだ。8時55分寿雀卵直売所に着く。合計で2時間半、15キロぐらいかな、いい運動になった。
 コロナ騒ぎで客足が落ちているかと思いのほか、影響はないようだ。ザッと30人の客が、2メートルずつ間隔を空けて列んでいるから外の歩道まで伸びている。

 コロナよりは人除けに効果があると下馬評の高い「般若心経」マスクは使わないで済みそうだ(2020.04.24「マスクを手作りしました」参照)。
 伊勢原駅の手前にオーケー伊勢原店がある。どうせ手ぶらで出ることになるだろうと高をくくって店内を一巡、酒売り場で目に飛び込んできた文字がある。

“Corona Extra”
 これか!
《コロナビールを製造するメキシコのグルポ・モデロ社は2日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、コロナビールの生産を一時停止すると発表した。メキシコ政府は、必要不可欠でない産業は活動を延期すべきだと要請しており、同社が従った形だ。》(朝日新聞デジタル>2020年4月4日 16時30分)
  これを呑んでみたい、というよりは、ある種の義侠心で衝動買いしてしまった。

ホームページで昔の論文を披露

 顔色悪くマスクで隠し、人目に立たぬようにこそこそと歩くのがまっとうで、マスクなしで白昼堂々、闊歩していると石が飛んできそうなご時世になりました。みなさんどのように精神の平衡を保っておられますか。
 外出禁止令・他県移動禁止令のなかで息を潜めている間にふと、思いつきました。このホームページに私の論文やデータベースを載せて、皆さんに暇潰しのネタを提供できないだろうかと。
 さっそくまず、このホームページを開いて第1ページ目、パソコンでは次のような画面になります。

 画面を横切っている緑色のメニューバーに「畠堀操八のページ」があって、その右の▼にカーソルを当てると、下にベローン、「畠堀操八のブログ」「論文」「データベース」が現れます。
  いままさに「畠堀操八のブログ」をクリックしてこの画面を見ておられるわけですが、もとにもどせば自由に「論文」「データベース」に行くことができます。
 スマホではつぎのような画面になります。原因は分かりませんが、パソコンでもこの画面になることがあります。

 このばあい、画面右上に緑の■、「三」という文字のようなものが白抜きになっています。ここにカーソルを当てると、ベローン。
 こんどは画面いっぱいに「ホーム」「山樂カレッジについて」「畠堀操八のページ」「富士山峯入り修行」「本・地図販売」「お問い合わせ」とで出てきます。

 そこで、「畠堀操八のページ」をタッチ、右端の◆をタッチすると1字下げで「畠堀操八のブログ」「論文」「データベース」が表示されますので、ここからお望みのところにいってください。

 さて問題は中身ですが、まだ非常に貧弱です。
 論文は、古いものが1本収録してあるだけです。
 富士学会の論文集『富士学研究』(Vol.7,  No.2, 2010)に掲載された「明治35年京都探遊会の富士登山、100年後の足跡を辿る」といいます。
 ただいま1本、短い論考をまとめておりまして、うまくいけば近日中にお目にかけることができるかもしれません。
  データベースの箱は空っぽです。
  富士宮市を中心に配布されている『岳南朝日』新聞があります。1953年=昭和28年創刊のタウン紙で、1955年から飛び飛びに始まって、最近は全号そろって富士宮市立図書館に蔵架されており、延々とめくってわが家は大山積みの紙。
   当初は村山古道関係記事に限って見出しを拾っていたのですが、富士登山全体に興味が移り、岳南地方に通ううちに地元の風習・民俗にも関心が広がっていきました。
 最近は記事内容を精査し、関連事項をあちこち調べていき、脱線からさらに複合脱線することも多くなっています。
  でもなんとか秋までには 「昭和編」のお披露目に持っていきたいと思っています。

マスクを手作りしました。

 日本国内閣総理大臣の真心こもったアホノマスクに期待して、行列しないで待っていましたが、どうやらスキャンダルに発展する気配が濃厚です。
 やむなく、手持ちの手ぬぐいとパンツゴムの残りを使って、手作りしました。
 まずは「詩吟」マスク。

 鞭声(べんせい)粛粛(しゅくしゅく)夜(よる)河(かわ)を過(わた)る
の一部だと分かりますね。
 第2弾は「般若心経」マスク。

 どのように折っても、冒頭の「観自在菩薩行深般若波羅蜜」が表に出てきませんが、唱えたことのある人ならどの部分か分かりますね。お経の法力がコロナからあなたを守ってくれますよ。
 欠点は、これからの季節、暑苦しいでしょうね。
 でもご安心ください。
 手ぬぐいを折りたたんであるだけですから、その場で汗ふきに使えるし、汚れれば何十回でも洗濯がききます。
 みなさんのご無事を祈ります。
                               合掌

せぼね君切断骨折

 このところ老眼がいちだんと進んできた。
 パソコン用にはやや弱い凸レンズで姿勢を正して使い、資料や書籍の細かい文字を読むときには度数の強いレンズを使い分けてきたのだが、最近は弱いほうでは新聞が読みづらくなり、パソコンも強いほうで操作することが多くなった。
 とくに困るのは、右眼の視力が落ちてきたようで、入力作業も左の独眼流で行っていることが多くなった。ミスタッチは増えるしはなはだ能率が悪い。眼鏡の作り替え時だろうと考えた。
 ところで、白内障手術が成功して生まれ変わったように元気になったお友達がいて、眼鏡屋に行く前に眼科医に行けと勧めるので診てもらったところ、めでたく白内障手術を受けることになって、日取りも決まった。忙しいお医者さんで執刀は2か月先のことである。
 そこでそれまでの日常生活である。このブログをお読みいただいている方はすでにご存じかと思うが、山梨・静岡両県内に残存している明治以降の古新聞を全ページめくって、富士山データベースを作ろうというのがわたしの生涯最後の仕事になる。
今日、そういった古い新聞の原紙を手にできることまれで、多くはマイクロフィルムでギコギコ見ていくことが多いが、静岡県立図書館にはマイクロフィルムをA3(おおよそ新聞1ページの半分)に出力した冊子がそろえてある。

 これは『静岡新聞』(1945=昭和20年1月28日付朝刊)の1面で、トップに富士宮市上空でB29に体当たりして撃墜した記事が載っている。

   そういう説明は省いて、これをお医者さんに見せて、全文読むわけではない、幾つかキーワードを決めて眺めていくんです、「あと10年、目が見えないと困るんです」。
 機転の利くお医者さんで、「こういうのを使ったらどうですか」と見せてくださったのがスタンプルーペ。

 これはいいと思ってネットで調べると困ったことに気づいた。各種製品について倍率は表記してあるが、レンズの直径など基本的なスペックが書かれていない。視界が分からないのだ。拡大読書機は高性能でモデル写真を見ると使い勝手も良さそうであるが、こんな高価な大物を一々図書館まで運んでいくわけにもいかない。
 さいわい軽量そうで視野も十分広そうなルーぺが見つかった。軸が背骨のようにくねくね曲がってレンズ面の角度が自由に変更できるので“せぼね君ルーペ”という。

 角度が前後だけでなく左右にも変えられるというのは重要なことで、天井灯の反射を避けることができる。スタンプルーペのように資料の上に直に置かないので、資料を傷めることもない。時に規則の権化のような司書さんがおられて、怒りを買うこともないわけである。
 難点を言えば、レンズの周辺部分がやや見えにくいので、そのつど首を左右に振って覗き込まないと見落としが出る可能性が高まる。

 紙面の左端に「殺人事件と判る 高岡村の老女焼死事件」という記事がある。
 ふつうは大見出しの中にある小見出しは、記事全体の中見出しだと素通りするところだが、首をちょっと振ると、大見出しのすぐ左に「富士山で自殺か」というゴチック活字が目に入る。正面にルーペを回して見ると、別の事件である。

《富士山で自殺か
駿東地区御殿場警部派出所へ警視庁から四日朝東京都渋谷区代々木山谷町三六会社員伊藤庫爾氏(四五)が去月卅一日朝富士山頂で自殺する旨の遺書を置いて家出したとの通報があつたので、同所で山中各石室に手配捜査している》(『静岡新聞』1950=昭和25年8月4日付夕刊)
  もう1つ事例を挙げておこう。

 「亡友の供養塔建立 遭難両君に寄せる友情」という記事がある。
 これも遭難現場が分からないから素通りする可能性が高い記事であるが、本文1行目の《【沼津発】本年一月七日、富士雪》がちらりと目をかすめるので、続いて《中登山の途次、御殿場口八合目で遭難死亡した御殿場町新橋岩城則康、同町二枚橋方壁俊郎両君の》(『静岡新聞』1950=昭和25年8月13日付朝刊)と読んでしまって、富士山での遭難関連記事だと気づくのである。
 ネット通販で購入して図書館に通うこと2日目、ザックから“せぼね君ルーペ”を引っ張り出すと、嗚呼!!

 背骨が根元から折れているではないか。
 しかしご安心ください。
 初日は冊子の右側を、台座を向こうからこちらにスライドさせながら首を左右に振って両端の記事を確かめていたのだが、2日目からは顔の前面20センチのところに“せぼね君ルーペ”を持ってきて、上からジグザグに首を振って新聞の下端まで見渡すことができるようになった。
 初めから背骨も台座も要らなかったのだ。何だか得をしたような気分である。

お知らせ

 習近平がくしゃみをすれば全世界が震え上がる。世界中の政治も経済もめちゃくちゃ。

 とくにわがニッポンでは弱者の狙い撃ちが目立ちますね。学校生活は大混乱、高齢者の皆さんは恐怖のどん底で萎縮しています。わが藤沢市民図書館は丸々1カ月閲覧禁止、ばっかじゃなかろうか。
 そういう忌まわしい事態がまだまだ続く予兆か、はたまた前途に光が見える瑞兆か。
 このわたくし畠堀操八めが、静嘉堂文庫美術館館長・河野元昭氏のおしゃべり俎上で調理されることになりました。
 ウイルス禍を恐れて逼塞している方々、いつ西国浄土からお迎えがきてもいいんだよと暇をもてあましている方々も、「饒舌館長ブログ」(http://jozetsukancho.blogspot.com/)をご笑覧ください。