青木ケ原の熔岩流:吐き出し口から墓場まで その2

 前回の9月22日は、9世紀の半ば過ぎ、富士山は北西斜面中腹の割れ目から噴き出した熔岩流を追って、大急ぎで精進湖まで下った。そして今回は、その熔岩流の終点、溶岩流の墓場を見届けようという企画である。

 

 

 といっても熔岩流の舌端は広い。本栖湖東岸から精進湖東岸、御坂山塊にせき止められた所から西湖の西岸、そして足和田山塊にまで及ぶ。

 まるで現場を目撃したような記録が残っている。

《甲斐国言ひけらく、『駿河国富士大山〔ふじのおおやま〕に忽〔たちま〕ちに暴火あり。崗巒〔かうらん〕を焼砕し、草木を焦殺し、土を鑠〔とか〕し石を流し、八代郡の本栖、并〔なら〕びに■〔せ〕の両〔ふたつ〕の水海〔うみ〕を埋〔うづ〕む。水熱くして湯の如く、魚鼈〔ぎょべつ〕皆死に、百姓〔ひゃくせい〕の居宅〔いへ〕、海と共に埋れ、或は宅有りて人無きもの、其〔そ〕の数記し難し。》〔■=「棧」の旁と「利」の旁の合字。〕
 真偽のほどはともかく、延喜元年(901年)に成立した勅撰国史『日本三代実録』にはこのように書かれている(『訓読 日本三代実録』武田祐吉ほか訓読、臨川書店、昭和61年)。
 もともとこの一帯には■ノ海〔せのうみ〕という大きな湖があって、貞観噴火の熔岩流が流れ込んで西湖と精進湖に分断されたという、1200年前のその現場に行くことはできないか。今回入り込むのは前掲地図のブルー円内であるから、もちろん整備された登山道などというものは、ない。 
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 まずは天気。気圧配置は、今回も前夜に前線が通過して移動性高気圧が張り出してくるパターンであるが、北寄りから季節風を吹き出しているので、回復が遅れるかも知れない。

 

 

 中央本線各駅停車、前から2両目に乗って梁川駅に停車すると、桂川の谷間から向こうに遠い山が見える。手前に見えているのは九鬼山か? 水平視程のいい日はその先に三ツ峠山は御巣鷹山の鉄塔があるのだが、きょうは見えない。雨がぐずつかなければいいが。

 きょうは富士山駅前発9:00の新富士行きバスに乗るので、トイレに行ったりの余裕がある。バスは順調に走って、出発点である「西湖入口」に到着。バス停の標識以外なにもないここで降りるのは我々だけ。
 西湖に入る山梨県道21号を右に見送って富士パノラマラインを精進湖方面に向けて数分歩くと、樹海のあいだに右に入るアスファルト道路が見える。標識は何もない。ここを入る。右側は前回に飽きるほど目にした樹海、ゴツゴツの熔岩塊のうえにツガ・ヒノキを中心にした混交林が広がる。ヒノキが極端に少なくミズナラが目立つようである。
 前回と大きく違うのは左側。熔岩塊が20〜30メートル鋭く切れ落ちた溝になっており、向かい側も急斜面がそそり立っているが、地面は土である。熔岩流ではなく、風化した堆積岩、御坂山塊のお目見えである。
 ほどなく四つ角に出る。右に曲がれば青木ケ原衛生センター、左が林道大和田線。ここを入るといきなり台風による風倒木。

 

 

 ミズナラに寄り掛かかられたヒノキの幹にはひび割れが入っているが、なんとか持ちこたえている。梢は上に伸びるから、20年もたてば見事なS字形檜に仕上がるであろう。
  左は御坂山塊の風化した土壌の急斜面vs.右は苔むしたゴツゴツの熔岩流。その間を進んでいくと右の熔岩の塊が途切れて、熔岩流の最末端は泥んこの平地になる。古い地形図を見ると(後出)この一帯は広い窪地だったようで、御坂山塊の土砂がたまって草原化しはじめているようだ。無数に広がっている足跡はイノシシのもので、背中をこすり付ける木は決まっているようだ。

 

 

 ここから東に向かう。御坂山塊の風化した土壌の斜面vs.苔むしたゴツゴツの熔岩流は続き、われわれ一同はイノシシ一族の踏み跡に導かれて進む。

 

 

 ここは真っ赤な熔岩が《草木を焦殺し、土を鑠し石を流し》湖に流れこんだ最先端である。なぜか先端の1〜2メートルのところがずーっと割れ落ちている。

 

 

 きょうは同行のT氏が法螺貝を手にいれてはじめての登山。ここではどんな音を出しても近隣からの苦情は来ない。そのかわりカモシカが1頭、びっくりして逃げて行った。

 

 

 あれは? 炭焼き窯の跡である。小さいながらも、地面に盛り土して建物の礎石と思われるものもある。原生林どころか、人の生活痕いっぱいである。

 

 

 クワの古木が生い茂り、アオジソが青々と繁殖しているところに出た。

 

 

 ここで明治24年出版、大日本帝国陸地測量部の2万分の1正式図を見ていただきたい。

 

 

 オレンジで塗りつぶした矢印は窪地で、今日ほとんどが埋まって平地になっている。
 黄色で塗りつぶした破線は古道である。これまで見てきたように熔岩流の上はとても歩けない。機械力もダイナマイトも使えない昔の人々は、御坂山地の急斜面を均し固め、御坂山地と熔岩流の隙間を生活道として、精進湖と西湖を結んでいたのである。西湖の古老によると、ここは牛蒡平という。土壌が深くて土がいいのでゴボウを作っていた、お蚕のクワの葉はここから運んでいた、ということである。
  地図の水色に塗りつぶしたところは桑畑のマークである。

 

  このあと山梨県道21号線に出て、こんどは整備されたハイキング道を野鳥の森公園まで歩く。といっても紆余曲折・登ったり下ったりの熔岩流の上で、両側は規模の小さい風穴の連続である。ここから西湖周遊バスで富嶽風穴まで行き、そこから富士パノラマラインをまた3キロ歩いて辿り着いたのがジラゴンノ熔岩流の露頭である。

 

 熔岩の厚さが最大で10メートル、横幅200メートルのこの露頭は天然ものではない。熔岩採石場の跡地である。


 

 

 このアリジゴクの跡だらけの赤っぽい砂は、3000年前に噴火した大室山のスコリアである。その上に1150年前の貞観噴火による熔岩が流れ込んできたのである。そこでこの火山灰を掻き出してしたを空洞にすると、ミリミリメシメシ、熔岩の塊が落下する。そのときもともとあった熔岩の収縮亀裂に沿って割れるので、あとで加工がしやすい。しかもこの熔岩に含まれている小さな気泡のおかげでひじょうにおいしい焼き肉ができる、熔岩焼きですね。

 

 

 もうひとつ面白いのは、この中間にある空気穴。ふつう熔岩は後から流れ出たものが上に重なるが、ここでは粘性の低い熔岩がたまって表面だけが固まっているときに後出しの熔岩がカサブタの下に潜り込んでしまったのだそうである。これを熔岩膨張(インフレーション)というそうで、その境界線が見えるのが面白い。

 

 

 もうひとつ問題になっているのがこのギザギザ部分。現地の看板の説明によると地面の植物などの水分が熔岩の熱で噴出した水蒸気噴気孔(スパイラクル)ということになっているが、最近の学説では否定されているようだ。そうではなく、熔岩樹型がインフレーションによって竪に引き裂かれたものであるという。
 さいごにジラゴンノについて説明しておいたほうがいいであろう。単なる地名である。
 山梨県東部、郡内地方の中世の用語では、長兄=太郎はタラ、次郎はジラというそうである。タラは富士山本体であるが、ちょうどこの場所を甲斐と駿河を結ぶ若彦路が通っており、ジラとしては富士山の裾を借用=権能ゴンノウしたという。(「鳴沢村のなぜなぜ物語」http://www.vill.narusawa.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=15628


 

 

 ジラゴンノ熔岩流露頭のすぐ北側にあるのが本日の終着点、「道の駅なるさわ」。バス停に着いたとき、ポツリポツリときたが雨というほどにはならなかった。
 その1でぽつりと漏らしておいたが、来年は新緑のころに、大室山単独登山を目的にもう一度来ることにしよう。