きょうは梅雨の走り、オオヤマツミノカミに親しむ

いつ頃から始めたものかわれながらはっきりしないのだが、静岡・山梨両県に残っている新聞を全ページめくって、富士山関係の記事をぜんぶ拾ってみようと思うようになった。

両県内に通うのは青春18きっぷが利用できる期間に集中して、それ以外の時季に晴耕雨読、まさにきょうのような日にコピー整理をすることにしている。

きょう引っ張り出したのは『静岡民友新聞』の明治35年11月〜36年2月のコピー。

 

 

この紙面は明治35年12月21日付2面の下ほうである。

お分かりのようにこの時代、べた記事には見出し活字が使ってないので、◎の下の文章をいちいち読まなければ記事が拾えない。

しかもコピーは新聞1面がA3に縮小してあるから、見出し部分は頑張って読むけれど、本文を読むときには141%拡大コピーをかけないと、眼がストライキを起こす。

きょうは午前10時から始めて午後7時まで、見出し60項目を拾い、本文3本をテキスト化した。

以下にその結果の一部をご覧に入れよう。

「 」内が見出し、日付の後ろの〔 〕は検索用のキーワード、《 》内がテキスト化した文章である。

 

『静岡民友新聞 Vol.35 明治35年11月〜明治35年12月』
「◎富士川の難破船」明治35年11月1日〔富士川水運〕
「◎演習一般方略」明治35年11月1日〔軍事演習〕
「◎第三師団機動演習」明治35年11月2日〔軍事演習〕
「◎大宮町の混乱」明治35年11月4日      ←拾い漏れ
「◎取消」明治35年11月9日〔11月4日付「大宮町の混乱」の取り消し広告←拾い漏れ〕
「◎大宮町々長助役の決定」明治35年11月11日
「◎小学校運動会」明治35年11月12日〔北山尋常高等小学校〕
「◎富岡村政紊乱(六)」明治35年11月12日
「◎富士郡大宮だより」明治35年11月18日〔福地神社〕
「◎上井出小学校の改築」明治35年11月28日〔上井出尋常小学校〕
「◎本門寺五重の塔の大修繕」明治35年12月日〔北山本門寺〕
「◎大宮町有給助役」明治35年12月9日
「◎富士郡農林学校」明治35年12月10日
「◎富士四本山会議」明治35年12月14日〔久遠寺〕〔妙蓮寺〕〔西山本門寺〕〔北山本門寺〕
「◎社寺上地下戻」明治35年12月17日〔御料林〕〔上げ地下げ戻し〕
「◎昨今の富士」明治35年12月17日〔富士山眺望〕
「◎富士の扁額」明治35年12月18日〔富士山博覧会〕
「◎富士郡北部教員会役員」明治35年12月19日  〔佐野万太郎〕〔山口信義〕〔若林重作〕〔大柴亀太郎〕
「◎富士川船の運賃下落す」明治35年12月19日〔富士川水運〕〔中央線〕→テキスト化済み
《◎富士川船の運賃下落す  中央線の大月迄開通したるに付き富士川船の貨物は頓に減少し殆ど以前の半額だにも達せさる程なるか之れさへも賃金の余程低廉ならずは廻送するものなきより自然下落して目下一船三百貫の運賃は五円八十銭なりと》(『静岡民友新聞』明治35年12月19日付)
「◎富士郡の善行家(一)」明治35年12月20日〔白糸村〕〔村松治作〕
「◎富士馬車鉄」明治35年12月21日〔富士馬車鉄道〕→テキスト化済み
《富士馬車鉄  富士馬車鉄道株式会社客車の数は都合拾七台にして毎日十余回大宮鈴川間を往復し其乗客賃は一区弐銭拾区弐拾銭又其収益は六七八月頃富士参詣者の最も多き頃収入あり現今短日にて回転数も一回を減したるが毎日の収入高は約一日平均五拾円一ケ月壱千五百円ありと云ふ》(『静岡民友新聞』明治35年12月21日付)
「◎富士郡の善行家(二)」明治35年12月23日〔原田村〕〔仁藤嘉平〕

 

大山積みの紙との付き合いはこれからも延々と続くのである。

 


 

 

 

富士山のまだら豪雨

5月4日は朝から快晴、5:30、南西の空に居待ち月を見ながら藤沢の家を出る。
富士宮駅前9:00発車の富士山五合目行きのバスの乗客は2人。立ち寄った水ケ塚はフジザクラが満開だが五合目には大きな氷柱、雪はまったくないがまだ冬の世界だ。
まず気になったのは標高2500辰砲△詈永遊歩道。昨春大きなV字谷を刻んだ日沢(にっさわ)源頭部は、今年はどうなっているか。しかし宝永山荘から眺めてみるとなんら異変はない。渡ってみると踏み跡はきちんと残っている。何度かの大雨もここは無関係だったらしい。
日沢源頭部は昨年秋と変わりない一ノ木戸跡から下になると樹間に日沢の左岸が大きく抉り取られているのが見えてくる。標高2000叩富士宮市から富士市に日沢を渡る大きな岩組み「横渡」は、昨年3月時点で流された。日沢ではここ数年雪崩が発生していないので沢筋に土砂がたまることなく、雨でV字形に削られてきた。その挙げ句に岩が流され、河床が深く抉られてしまったのである。
それがきょうは土砂で埋まっていて簡単に渡れる。ズリ面に残された足跡から見ると5月3日未明の豪雨はここにはこなかったらしい。4月6日夜の豪雨を心配して翌朝登っていった 市川和秀氏が発見し、4月21日に登った三尾則之氏のFaceBookリポートの通りである。 昨年急造した「新横渡」は両岸とも高さ1メートル以上削られて河床への上り下りがむずかしくなっている。

新横渡の右岸取り付き

新横渡りの左岸取り付きしばらくは渡河地点が定まらないとになるだろう。昨年つけた「新横渡」の標識と張り巡らしたPP紐などをすべて撤収してさらに下る。
辟易したのは大倒木帯のなかを通じる登山道の荒れ方である。とくに岩屋不動分岐から大樅までの急坂の棒道は、雨を集めて奔流となり、このまま放っておけばV字峡になってしまうんではないかと心配になる。
ずっと下って標高1350鍛賄世蚤嫉蓋兎擦魯好イライン横道を横切る。このちょっと上側にスカイライン側溝の排水管があって、スカイラインの下をくぐって谷側に流す構造になっている。クルマで走る人には分からないが、この配水管の出口の先は不動沢熔岩流の苔庭になっており、「六観音」とされる史跡がある。ところが今回は雨水が流れ込んだ形跡はまったくなかった。
さらに標高1250辰涼羌榿幡堂。日沢を富士宮市に渡るのであるが、驚いたことにこれまで堆積していた土砂が流されて、河床の熔岩流の岩盤がむき出しになっている。

河床の熔岩流がむき出しになった日沢沢伝いに小さな滝を2本登ると、八大龍王・水神・井戸跡の遺跡がある。なぜか行政は史跡だと認知してはいない。
困ったことに洪水のたびに日沢の鉄砲水が左岸を削り、この史跡を脅かしてきたので、地元村山の人たちが蛇籠を組み土嚢を積んで応急策をとってきた。ところが水の勢いは思いもよらず、左岸と蛇籠の間を削り始めたのである。さてどうする、武田信玄でも呼んでくるか。
4月7日の市川写真では、水流が左岸を削りすぎて山が崩れ、大量の土砂が蛇籠を守る形になった。

左岸が崩れて蛇籠を守る(4月7日、市川)そして5月4日の畠堀写真では河床にたまっていた土砂が厚さ30其瓩流されて河床が下がった。

土砂が流されて河床が30センチ下がった
砂の上に残っている子鹿の足跡の新しさからすると、5月3日未明の豪雨は、土石流ではなく大水だったことが分かる。日沢の熔岩流むき出しもこの雨のせいであろう。

今シーズン初の村山古道巡回は延期

5月3日の静岡県は雨の予報だが、〔一般的に言って〕前線の通過が早まるので準備万端、4:00に起床。

ところが気象庁レーダー・ナウキャスト画像を見ると、まさに静岡県全域が強雨帯に覆われている。

 


富士宮駅に着くころには、雨雲が消えている可能性もあるが、日沢の土石流のために登山バスが発車しない可能性もある。

けさの出発は見送って、このところ溜まっている雑務を片付けることにしよう。

ブログを始めました



きょうは朝のうちに前線が通過して午後から晴れました。

春日山脱線登山、鉄ちゃんの旅

 あすは中央線石和温泉からバスで鳥坂峠まで上り、春日山が目標である。8月31日夕刻、数日来東北南部に停滞していた前線が南下を始めたようだ。

 
 翌朝9時の前線の予想位置は、ズバリ山梨県を狙っている。がしかし、じっさいの天気がどうなるかはまだ分からない。雨が降ったとしても地域と時間が限定されれば、いまどき濡れても身体が冷えるようなことはないだろう。

 9月1日4時起床。妙に明るいなと思って新聞取りに出てみると、快晴!
あの前線はどこへ行ったんだ。パソコンを点けて気象庁のレーダー・ナウキャストを開くと、確かに関東地方の大部分には雲一つない。

 

 しかし、すでに東京都の西端から西、山梨県全域と長野県南部、愛知県まで雨雲でベッタリ覆われていて、雨雲全体が東に進んでいる。 そのうち綺麗な朝焼けが始まる。出発時刻だ。
 町田、八王子と乗り換えて集合場所の高尾駅に近づくと、確かに北の山には雲が下がっているが、南の空には雲間に青空がのぞいている。
 7:10甲府行列車は高尾発。
 レーダー・ナウキャストの画像に大きな変化はない、雨を避けるとすれば伊豆半島か房総に方向転換するほかないかな。というところで、ひらめき。
  今回は参加者全員が青春18きっぷ利用である。新幹線や特急列車はダメだが、在来線ならJRを一日中乗り回してどこまで行ってもいい。今日中に帰ってくればいい。
 8:31下車予定の石和温泉は通過して8:40甲府着。
  改札を出てまずは北口の甲州夢小路。洒落たワインバーなどあるが早朝から開いているわけではない。再建された山手御門に登るとミニ博物館兼展望台になっている。レーダー画像にあった雨雲などこへ行ったのか、遠望が利く。再建された時の鐘の向こうにあるはずの富士山は見えない。

 次いで中央線を跨線橋で渡って本丸跡へ。天守台への石段は脛より高い段差もあってけっこう登山気分。

 10:54身延線富士行き甲府発、南甲府駅に近づくと富士山が見えてくる。

 11:41市川大門着。ここは江戸時代から富士川舟運の中継地として栄えた歴史があり、駅舎も何かを語りかけているようだ。

 町の観光案内板によると今日でも和紙と花火の生産が盛んなようで、中央通りを見物しながら1駅引き返して市川本町駅へ。

  そのほか幕末の天保の飢饉のおり、この地で大我講を興した大寄友右衛門が忍野八海を整備して村民救済を図ったと伝えられており(『忍野八海を中心とした富士山信仰と巡礼路』忍野村教育委員会、2015年)、機会があれば再訪したいものである。
 12:19市川本町発は、2駅目の鰍沢口駅行き。身延線には富士駅発の下りも甲府発の上りにも鰍沢口行きという列車がある終始点駅なのだが、駅前には何もない。十谷温泉行きのバスが待っていたがこれは富士川町営のホリーデーバス(土日休日運転)で1日3往復、これに乗ったら今日中には家に帰れないだろう。
 薄日が差しているので富士川土手に行って昼食。ヘクソカズラの清楚な花が満開で、踏んだり摘んだりしないことが肝要である。

 13:14鰍沢口発、15:09富士宮着、静岡県世界遺産センターへ。


 ここでは螺旋回廊を登って頂上まで行くと正面に富士山の大展望という富士登山の疑似体験ができる。笠雲を被った富士山の全体がくっきり。

 2階の映像シアターでは“地の巻”を上映中で、わが聖護院・富士山峯入り修行の一部始終が紹介されている。先駆けとして先頭を歩く筆者は11場面に登場する。
 閉所時刻まで滞在して真ん前の神田川楽座に入って生ビールで乾杯、名物の富士宮焼きそばもいただく。18:00富士宮駅発、18:23富士駅乗り換え、19:27熱海駅乗り換えで長い一日の鉄ちゃんの旅を終わったのであった。
 ちなみに藤沢在住の筆者がJR乗車券をそのつど購入すると:
 1940+320+190+1140+1940=5530円也
 となるが、青春18きっぷのおかげで、11850÷5=2370円で済んだ。