オールコック異聞 その1

 去年の暮れから目の前に、オールコックの影がちらちらしている。
 戌年にちなんで、年賀状にオールコックの愛犬「トビー」を使えないだろうかと、ムラヤマフジコちゃんから問い合わせがあり、それが発端である。 

 駐日初代英国公使オールコックが、万延元年(1860)に西欧人として初めて富士山に登っての帰り、東海道で箱根を越えて東神奈川に帰るのではなく、三島から間道を通って熱海に出て、そこで2週間休養している。
《この閑静な温泉場でわれわれがおくった生活は、単調そのものであった−−そこでのできごとは、早飛脚が到着したことと、いつもわたしの忠実な友であった愛犬のスコッチ・テリアが死んだことだけだ。》(オールコック著・山口光朔訳『大君の都』岩波文庫、昭和37年初版)     
 当時の熱海の源泉は自然のままで、道ばたのあちこちから熱湯がぶくぶくと迸り出ているような状態だったらしい。

《温泉壺数多シ。六ツ八ツ七ツ昼夜六度大熱湯トナル。》( 『伊能忠敬測量日記 伊豆篇』 佐藤陸郎校注・自費出版、2003年)

 公使の愛犬トビーがその一つ、大湯間歇泉の熱湯を浴びて死んでしまったのである。

 

 

 思いがけないことに、村人たちは坊さんを呼んで丁寧に弔ってくれたので猊下は大感激、イギリス国民の親日感情向上に寄与するという美談になるのだが、私に言わせりゃあ、エッ!オールコックは富士登山に犬ころを連れて行ったの?
   
 そう言えば……万延元年7月25日(1860年9月10日)にオールコック一行が大宮(富士宮)を通過したときの記録が残っている。
《「異人等ハ浅間社を拝せずす通り也 別当〔宝幢院〕ニてウドンを多く喰し鮪〔まぐろ〕のさし味を多く喰し アヒルを料理して 生の肉を飯ニかき交て多く喰す …………  羅沙面の小獣を連来ル 鶏 アヒル荷物也》
 ここでいう“羅紗面の小獣”こそが、鶏・アヒルのように生きたままぶら下げられている食料ではなく、まさに猊下お気に入りのトビーのことだと思われる。
 この記録は幕末期に大宮の酒屋さんが書き継いだ日記で、29字×26行×2段組み、B5版、全5冊、900ページちかくが翻刻されている。引用は『駿州大宮町横関本家 袖日記(八番・九番)』(富士宮市教育委員会編・発行、平成12年3月)からである。

 
 
 ただしこの“羅紗面の小獣”、ご主人様が富士登山中、麓のどこでだれが世話をしていたものか、これ以外のことは何も分かっていない。
 数年前にわたしが脊椎管狭窄症&椎間板ヘルニアという診断を受けたとき、通院して待ち時間が余りに長いので全冊読んでしまった。というのは言い過ぎで、長い待ち時間を利用して全冊をめくり、いくつかのキーワードを決めてレ印を付けておいた。それがこのときの記憶喚起に役に立ったのである。
 病気のほうは幸い、大袈裟な病名にかかわらず、積極的治療がないまま間もなく自然治癒する。

 膝なら膝、踵なら踵、脊椎なら脊椎というように、整形外科の専門領域は分化しており、各分野の治験を積んだ医者をそろえることは業院経営にとって大変だと理解はできる。しかしか長い待ち時間をすこしでも有意義に過ごせるように、待合室に書見台を設備してもらえるとありがたいのだが。