富士山・村山入山式の脇道

 西日本大豪雨の悲報がこれから大展開しようという7月9日に東海地方は梅雨明け。 

 翌10日は猛暑のなか、富士山の静岡県側各登山口で山開きが行われた。平日にもかかわらず村山古道入り口にも、300人以上の参拝者があり、神仏混交の開山式典が繰り広げられ、京都は聖護院の山伏による採燈護摩焚きが掉尾を飾った。

 


 それに先立ちわたしは、道者道の補修と村山古道の整備をおこなった。
 むかしの富士山信仰登山をする人を道者といい、道者が歩く道だから道者道。
 富士宮市街地から村山まで断続的に続いているが、江戸時代以前からの古い姿を残しているのが、くねくねの国道469号にある粟倉観音堂から村山・西見付までの急坂、800メートルの間である。

 


 左は『富士根村精細地図 最新地番地目地積入』(秋山工務店、昭和29年)で、右は『ゼンリン住宅地図 SHIZUOKA富士宮市』(ゼンリン東海、2010年)である。
 黄色い部分が国道469号で、くねくね部分は現在でも往復1車線、大型バスは入れないどころか小型車同士でも擦れ違いができない。「富士根北公民館で右折しないで」とこのルートを指示すると露骨に嫌がるタクシー運転手もいる。
 赤線部分が道者道で、半世紀前の土地利用図でははっきり全コースが描かれているが、こんにちの住宅地図ではまったく分からない。ただ後者をよく見ると「山辻の石畳」と書かれた右側にわずかな破線があり、かろうじて石畳道の存在を示している。
  ここでようやく本題に入るのだが、村山入山式当日には富士宮歩こう会の人たち100人がここを歩いて村山に入るというので、先日は同会が道者道の整備したという。まことにめでたいことである。
  ところがわたしが9日に行ってみると、石畳から上の部分はチェンソーと刈り払い機が入ってきれいに掃除してあるが、石畳までの下半分はまったくの手つかずである。

 


 富士宮歩こう会の人々は山辻の石畳までどこを通って来たんだろうか。まさかヘリで飛来してロープを垂らして懸垂下降したわけでもあるまい。
 ヒントは富士宮市教育委員会の《歩く博物館 D 富士根北地区 「道者道を歩くコース」》 にあった。

 


 これによると、山口鉄工所の左を藪の茂った道者道に直進しないでアスファルト道を右折し、突き当りのカーブミラーのところを左折してゆるゆる上って、山辻の石畳をそのまま通り過ぎて国道469号のくねくね部分に出て、バイパスが完成したために行き止まりの盲腸道になった469号を本来の道者道まで辿るという全面的な迂回路である。
 つまり富士宮歩こう会のコースは、前半の山辻の石畳までは行政ご推薦の自動車道を歩き、後半は行政の指導に従わないで独自の道を切り開いたということになる。もちろん各主催団体には独自に練り上げられた目的と参加者全体の力量の評価があるので、わたしはそれがいいとか悪いとか言うつもりはない。
 ただ1年間に10人でもいいから、山辻の石畳までの下の部分を歩いてもらえると、歴史の道が保存できるのだがな、という思いはぬぐいがたい。

 


   小さな沢に架かっていた橋は崩れ落ちているが、足許はまったく傷んでいない。チェンソーどころか、鉈を抜くこともなかった。とりあえずは鎌一本で、顔に枝葉がぶつからないで通過できるようにしておいた。